永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

プロをめざすボランティアライターと500円カメラマンの諸君へ。

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誰もが知っている有名な旅行ガイドブック会社から、運営するブログ執筆のオファーを受けた。写真と文章を生業とする私は、当然、仕事の依頼だと思い、メッセージに記されていたURLにアクセスし、ライター募集のHPを見た。

ギャラについては、年に2回、約200名の中から優秀なライターを選出し、3~10万の報酬が支払われるという。これって、仕事ではなく、ボランティアで書けということではないのか。

このボランティアを経験したライターは、行政や大手企業から仕事がもらえたり、旅行ガイドブックの現地調査協力をしたという「過去実績」も載せていた。おそらく、駆け出しのライターは、これを真に受けて応募しちゃうんだろうなぁ。私も20代だったら、考えていたかもしれない。

しかし、こんなウマイ話はないから。過去実績がウソというわけではない。年に2回、選出された優秀なライターの中のごく少数がそういった仕事をもらっているのだろう。大半のライターはタダ働きして終わりだ。

本気でライターをめざすのなら、ボランティアで書いて書いて書きまくり、チャンスを待つよりも、作品を持って出版社を訪ねることだ。そっちの方が手っ取り早い。実際、私もそうだったし。そもそも、オファーを出す相手が、ボランティアで書かせている文章でがっつり商売してるわけである。あまりにも不公平ではないか。

それと、最近よくFacebook上で、「今だけ1コイン(500円)撮影キャンペーン」という激安のイベント(?)を見かける。それも、写真とはまったく関係のないページで。

「ウチの宝石を海外ブランドのポスターのように撮って♡」とか、「ウチの工場の全景をドローンで撮って♡」とか依頼されたら、どうするんだろ。500円という金額で儲けが出ると判断しているからこそ、キャンペーンを展開してるんだよな?じゃ、やれよ(笑)。きっと、

「500円のキャンペーンでできた縁を大切にして、今後につなげる」とか考えているんだろうなー。夢を壊して申し訳ないんだけど、次にはつながらないから。それどころか、プロカメラマンとしての、自分自身の価値を下げているのがわからないのだろうか。

プロのカメラマンなら誰でも、「どうしたらもっとキレイに撮れるか」を常に考えている。浮かんだアイデアをテストしたりして、常に腕を磨いている。少しでも写真のレベルが上がると思ったら、無理してでも高い機材を買う。それは、500円で撮影を引き受けるためではない。プロカメラマンとしての価値を上げて、より高い報酬を得るためである。500円カメラマンの諸君、わかるかなー。

※写真は、ある日の現場。この撮影を500円で完璧にやってくれるなら、間違いなく下請けに使うけどね。

仕事での食べ歩きは、どこまでも客目線で。

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煽り運転が原因の悲しい事故が相次いでいる。ハンドルを握ると人格が変わるような人は、きっと日常生活で何かしらのストレスを抱えているのだろう。それは、ネットで悪口を書き殴る人も同じだと思う。普段とても使わないような暴言を吐くことで心のモヤモヤをスッキリとさせているのだ。

disる対象となるのは、政治家や芸能人、経営者、マスコミ…。リアルに接点のない相手ばかりなので叩きやすいのだろう。私が出版業界で仕事をしているせいか、「マスゴミ」と言われると、さすがにカチンとくる。少なくとも私の周りの同業者、とくに報道系の仕事をしている人たちには本当に頭が下がるほど真摯に取り組んでいる。権力のチェック機能としての役割をきちんと果たしているのだ。文句があるなら、匿名ではなく、正々堂々と名乗るべきだ。それがマナーというものだ。

また、グルメブロガーが飲食店をターゲットにdisることもある。

「オレは店のためを思って書いているんだぁぁぁっっっ!」と、キレられるかもしれない。でも、それを読まされる側は不快そのものである。この際だから、ハッキリ言っておこう。それ、恋人や妻への暴力、いわゆるDVと同じで、歪んだ愛だから。

グルメブロガーが上から目線になるのは、

「いろんな店で食べ歩いているオレはエライ!」と、錯覚してしまうのだろう。これもハッキリ言っておこう。グルメブロガーだろうが、マスコミだろうが、有名人だろうが、店によっては一人の客だから。

15年前、あるグルメ情報誌で仕事を始めたとき、私が勝手に師匠だと思っている編集者から、仕事での食べ歩きの心得を叩き込まれた。それは、

「何も難しいことじゃない。恋人や奥さんと一緒に行きたくなるような店かどうかってことだよ。店の客となる読者の代わりに行くんだ。どこまでも客目線であることを忘れるな」というものだった。記事を書くにあたって、専門的な知識は必要である。が、スタンスは、やはりどこまでも客目線なのだ。

もちろん、食べ歩いていれば、自分の好みに合わない店もある。しかし、その店が存在するということは、一定の支持を集めているのだ。それが味なのか、それともサービスなのか、雰囲気なのか、ロケーションなのかはわからないが。自分の好みに合わないからといって、感情的になって悪口を書き殴るという行為は、その人の人格を疑ってしまう。

お気に入りの店で美味しいものを食べながら、店の人と美味しいものについて語り合えば、日常のストレスなんて消えちゃちゃうんだけどなぁ。

※写真は今日撮影した名古屋駅西口『花○商店』の「鉄板ナポリタン」。本文とはまったく関係ありませんが、あまりにも美味しそうだったので載せました。

味噌かつといえば、定食?串?丼?

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味噌かつ」と聞いて、皆様は何を想像するだろうか?

揚げたての豚かつに豆味噌ベースの甘辛いタレがドバッとかかったものをイメージされる方が多いと思う。

実は、味噌かつとしてカテゴライズされるものがほかにもあるのだ。

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まずは、味噌串かつ。写真は『串カツ 青山七丁目』の「味噌串カツ」(5本500円)。

味噌かつの発祥は定かではないが、戦後間もない屋台で、牛スジやこんにゃくを豆味噌で煮込んだ「どて煮」の鍋に串かつを浸して食べたのがはじまりという説がある。揚げ置きして冷めてしまった串かつをどて煮の鍋で温めるためでもあり、実に名古屋らしい合理性を感じる。この説が正しいとすれば、味噌串かつこそが名古屋めしの代表格、味噌かつの原点ということになる。

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そして、定番の味噌かつ定食。お酒に合うということは、ご飯との相性も抜群ということである。ゆえに定食屋や洋食店が味噌串かつに目を付けて、定食スタイルにしたのだろう。実に自然な流れである。

写真は『名代とんかつ 八千代 味清』の「名代ヒレかつ定食」(1690円)。ご覧の通り、味噌ダレは別皿で出される。とんかつ専門店や洋食店では、このスタイルが多い。味噌ダレが別なのは、揚げたての衣のサクサク感を損ないためだろう。

しかし、味噌かつ専門店の場合、最初から味噌ダレがかかっているところがほとんどだ。いちばん有名なのは、『矢場とん』だろう。見た目に強烈なインパクトがあり、味噌かつを食べたことのない人にとっては味の想像がつかないと思う(笑)。当然、衣のサクサク感はないが、濃厚な味噌ダレが染みまくった衣もまた旨んだよな、これが♪どちらが好みかと尋ねられたら、「どっちも♡」としか答えようがない(笑)。

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最後にもう一つ、味噌かつ丼だ。味噌かつとご飯を別々ではなく、一つにしてしまっても十分に旨いのである。味噌ダレと豚かつが互いに持ち味を生かし合い、驚くべきポテンシャルを発揮するのが味噌かつ丼なのだ。

写真は『キッチン なごや』の「でら旨ロースカツ丼」(1210円)。ここは味噌ダレではなく、自家製のどて煮がたっぷりとかかっている。牛スジの深みのあるコクがくわわったどて煮は濃厚な味わい。ゆえに豚かつの下に敷かれたキャベツの千切りが箸休めとなる。口の中がさっぱりすると、またご飯を掻き込みたくなる。もう、永遠に食べられるのではないかとさえ思える(笑)。定食と丼、どちらが好みかと尋ねられたら、これまた「どっちも♡」としか答えようがない(笑)。

味噌かつの味の決め手となる味噌ダレの味付けは、店によってさまざま。とろみのあるタレもあれば、サラッとしたタレもある。八丁味噌を使っている店もあれば、そうでない店もある。また、味噌かつ丼も、キャベツを敷く店もあれば、敷かない店もある。とくにルールがあるわけではなく、多種多様。そこが楽しいのだ。

名古屋めしの魅力は、「寛容さ」にある。

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食の取材を通じて、これまで多くの料理人たちと出会った。彼らにとって、美味しいものを作ることが第一であり、そのためなら他ジャンルの技法を何の躊躇なく採り入れる。ときには、異なるジャンルの店に赴いて、教えを請うこともある。このように、和食やフレンチ、イタリアン、中華などのジャンルにとらわれない柔軟さが彼らの魅力である。

聞くところによると、フランスの三ツ星レストランでは、カレー粉や抹茶、醤油、味噌なども使っているという。現代のフランス料理は、クラシックスタイルのそれとはまったく異なる。

「こんなの、フランス料理ではない」という人も当然いることだろう。それも一つの意見として尊重すべきだとは思うが、生クリームやバターをたっぷりと使ったクラシックなフレンチしかフランス料理として認めないのは、あまりにもツマラナイではないか。

「これもまた、フランス料理である」とした方がよほど楽しい。これが正しいとか、あれは間違っているという議論がいかにバカバカしいことか。

しかし、ネットの世界では、不寛容であればあるほど注目を集める。とくに、特定の国や人に対して、独善的な考えを一方的に述べる。しかも匿名で。やがて、論調はどんどん過激になり、ヘイトスピーチと化す。本当にくだらない。

先日も某政党が「寛容な保守」を標榜しながら、考え方の合わない人を排除したことで一気に信用を失った。今日は衆議院選挙の投票日だが、きっと多くの議席を失うことであろう。

名古屋めしの魅力は、その寛容さにある。和食でもあり、洋食でもあり、中華でもあるだけでなく、郷土料理でもあれば、創作料理でもある。本来、ジャンルも発祥時期もバラバラだった料理を「名古屋めし」というコトバで一つにしたのである。

たしかに、一括りにしたことで「これは名古屋めしではない」という考え方もできる。その一方で、一括りにしたからこそ、「これもまた、名古屋めしである」と考えることもできる。もちろん、私は後者だ。

※写真は大曽根にあるスーパー銭湯大曽根温泉 湯の城』の「名古屋モーニングセット」(500円)。和、洋、何でもアリのカオス感が名古屋っぽい。

ひつまぶしの弱点をクリアした『うな豊』の「まぶし丼」

以前、このブログで私はひつまぶしをあまり食べないということを書いた。湯せんした熱々の器にこらめた熱々の鰻、焼きたての鰻をのせた丼がいちばん美味しいと思っているためである。お櫃に入ったひつまぶしはどうしても食べているうちに冷めてしまうのだ。

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名古屋市瑞穂区豊岡通にある『うな豊』は私のお気に入りの店の一つ。ここは、ひつまぶしがメニューにない代わりに「まぶし丼」(写真)を用意している。丼にすることでひつまぶしの弱点をクリアしたのである。もちろん、薬味やだし汁も付いている。

鰻については後ほど触れるが、ここはいつ訪れてもご飯が炊きたての上に炊き加減も完璧。聞いてみると、小さめの炊飯器でこまめに炊いているという。その心遣いに頭が下がる。

いくら鰻が美味しくても、ご飯が冷めていたり、柔らかかったりすると台無しになってしまう。鰻に限らず、丼ものは具とご飯の一体感がすべてなのだ。

特筆すべきは、鰻料理の命ともいうべき「焼き」。名古屋ではタレを何度もつけながら表面が飴色になるまでカリッと焼き上げた鰻が人気のようだが、ここは違う。皮目と身を何度も返し、団扇で温度を調節しながら焼き上げている。

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その技術が最も表れているのが「うな重」だ。名古屋では鰻を蒸さずに焼く「地焼き」が一般的。どうしても皮目がかたくなってしまうので、身を何等分かに切ってあることが多い。しかし、ここのうな重はご覧の通り。箸でサクッと切れるのである。

「関東の鰻の美しさと柔らかさを地焼きで表現できないかと思ったんです」と、店主の服部公司さん。

ひつまぶしと同様にうな重も冷めやすいので、私はあまり注文しないが、ここのうな重は別格である。食べるたびに職人としてのレベルの高さを目の当たりにして、感激してしまう。店の近くには市内でも有数の桜の名所がある。次回は桜の咲く頃に訪れてみよう。

「鉄板焼き太きしめん」は家族で食べた焼肉がヒント!?

麺類食堂で「天ぷらきしめんを赤つゆで」、「白つゆでかけきしめんを」など、さまざまなリクエストをする客がいるという話を耳にする。つゆを替えるくらいなら、まだカワイイものである。なかにはメニューにないものを求めるツワモノもいるらしい(笑)。今でこそあまり見かけなくなったが、ひと昔前には麺類食堂にはオムライスやカレーライスがあった。ある麺類食堂の店主から、それらの洋食は客の要望でメニューに採り入れたと聞いた。

このようなことは何も麺類食堂に限らず、喫茶店や寿司屋でもあったと思う。私がグルメ取材を始めたばかりの頃、「名古屋では専門店は成立しない」という話を幾度となく聞いた。つまり、店主が専門としている料理以外のものも用意した居酒屋的な店しか流行らないということだ。

そもそもオムライスやカレーライスが食べたければ洋食店に行けばいいのであるが、それだけ客と店の距離が近いのだろう。あまりワガママなリクエストはいかがなものかと思う反面、私はそこに名古屋らしさを感じてしまう。それに「なごやめし」として知られる小倉トースト味噌かつも客のリクエストから生まれたのだ。

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↑写真は『朝日屋』の「焼き太きしめん」。テレビ朝日『マツコ&有吉 怒り新党』で私が紹介されていただいた一品だ。放送直後には店の前に行列ができ、昼の休憩もとることができないほど多くの客で賑わった。1年経った今でも「テレビを見た」という客が訪れるという。

「焼き太きしめん」がメニューにくわえられたのも10年ほど前に客からリクエストされたのがきっかけだった。普通に醤油やソースで作っても面白くないと思ったご主人と女将さんは、味噌やカレーなど思いつく調味料をすべて使って試作を繰り返した。しかし、納得のいく味にはならなかった。

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「ある日、家族で焼肉を食べたんですよ。肉を食べ終わったホットプレートにきしめんを入れたらすごく美味しかったんです。すぐさま、これだ!って(笑)」と、店主の堀場剛さん。

焼肉のタレは、店の焼肉定食に使っている自家製で、先代が考案。醤油にすり下ろしたニンニクや唐辛子などをくわえたパンチのある味だ。強火で炒めるため、通常のきしめんでは切れてしまったことから、釜揚げきしめんに使う「太きしめん」に替えた。幅が広い分、タレの味をよく吸い、全体のバランスが良くなった。

また、名古屋の喫茶店ではお馴染みの「イタリアンスパゲティー」のように、熱々の鉄板で食すのもポイントだ。溶き卵も流し入れてあり、絡めて食べるとマイルドな味わいになる。ご飯にも合うが、キンキンに冷えたビールとの相性も抜群だ。

「焼き太きしめん」は、客のリクエストと店主の飽くなき探究心から生まれたのだ。

つゆと麺、具材のどれも完璧な一杯

ある冊子の取材で東区の『川井屋』へ行ってきた。創業は大正10年。店主の桜井太郎さんは、3代目。平成元年、23歳のときに店に立ち、今年で29年。先代から店を継いでから、新たに増やしたメニューはなく、逆にお品書きから外したメニューがあるという。

「昔は外食する場所といえば、うどん屋くらいしかなかったと思うんですよ。だから、ウチに限らず、昔ながらのうどん屋にはカレー丼やチャーハン、ラーメンとかもありました。それらを外したんですけどね」と、桜井さん。

客のなかにはカレー丼が好きな人もいただろう。しかし、麺類食堂として不要なものをそぎ落としていけば、本来メインである麺類や丼ものに集中できる。そこに職人としてのこだわりを垣間見たような気がした。

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さて、ここの「きしめん」だが、朱色の「名古屋かまぼこ」と煮揚げ、ほうれん草、花がつおがのる。薬味はネギと大根おろしが別皿で出される。

大根おろしは意見が分かれるところだが、麺にのる具材はどれも定番中の定番であり、これが名古屋のスタンダードと言ってもいいだろう。初めて見たときは、赤茶色のつゆにかまぼこの朱色とほうれん草の緑が映えて、とても美しいと感動した。

ムロアジに宗太鰹をくわえたダシは、野趣溢れる味のなかにそこはかとなく上品さも感じる。そんな完成度の高いダシに合わせるのはもちろん、うまみ成分の強いたまり醤油。麺ももっちりとした弾力があり、まさに私好み。もう、何から何まで完璧なのだ。桜井さん、ご馳走様でした!