永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

芸能人。

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テレビの収録へ行ってきた。内容は、私のお気に入りの店に芸人の横澤夏子さんをアテンドするというもの。テレビの仕事は、私の本業である雑誌やネットの取材とあまりにも勝手が違うので、いつもクタクタになる。きっと、普段は使わない神経を使うのだろう。

何しろ、限られた時間の中ででできるだけ多くの情報を伝えつつ、かつ、個性を出さなければならないのである。素人である私はシドロモドロだが、横澤夏子さんはさすが芸人。現場の空気を瞬時に読み取って、適切なセリフを面白おかしく繰り出す。しかも、店のご主人やスタッフ、その場に居合わせたお客さんへの配慮も忘れない。

横澤夏子さんと合流したのは、昼1時すぎ。で、終わったのは夜7時半頃。番組のディレクターによると、今日、彼女は午前中、というか朝に東京で仕事を終えてからこちらに来て、夜はまた東京で仕事があるという。売れっ子ならではのウルトラハードスケジュールである。

にもかかわらず、カメラが回っていないロケバスの中でもまったく疲れたところを見せない。本当にスゴイ。まさにプロだ。私がプロデューサーなら、また使いたいと思うし、別の番組でも起用したいと思うもんなぁ。

仕事柄、芸能人やスポーツ選手を取材したり、撮影したりすることはある。皆、礼儀正しく、好感が持てる人ばかり。とくにここ数年の間でお目にかかった中で嫌な思いはしたことがない。と、書くと、嫌な思いをしたことがあるのか?と突っ込みたくなるだろう。

結論から言えば、ある。10年以上前に某番組でロケに出たときのこと。ロケバスの中で某男性タレント(本人は役者だと思っているが、断じて私は認めない・笑)とやりとりするシーンがあった。

まだテレビになれていない私はセリフを噛んでしまったのだ。すると、ヤツは「チッ!」と舌打ちしやがったのである。ヤツはその時点で私の「殺すリスト」にくわえられた。

たしかに、当時、ヤツは売れまくっていたから、何をやっても許されると思っていたのだろう。でも、年を追うごとにレギュラー番組が少なくなり、今は滅多にテレビで見かけることはない。初対面で、しかも、素人である私に対してそんな風なので、スタッフへの態度は想像できる。ヤツは間違いなく「干された」のだ。

百歩譲って、テレビでも傲慢なキャラで売っているのであれば、まだ許せる。しかし、カメラが回ったときの爽やかな好青年キャラへの豹変ぶりは、呆れるどころか笑えてきた。あー、嫌なことを思い出した。

あ、番組の放映日等の詳細はまた後日お知らせします。お楽しみに。 

正樹永谷のすべらない話。

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高校時代の話。

ある日、友人のA藤から、学校の帰りに薬局へ寄りたいからつき合ってほしいといわれた。

当時、A藤は犬を飼っていた。散歩をしていても、途中で息が上がってしまい、倒れてしまうほど年老いていた。

その犬が便秘でもう何日もウ○コが出ていなくて、薬局に行ったのは浣腸を買うためだった。今のように動物病院がそこら中にあったわけではないし、命に関わるような病気ではなく、便秘。ウ○コさえ出ればよいと考えて浣腸を買うことにしたのだ。

私たちが訪れたのは、駅前に昔からある小さな薬局。ところが、浣腸を求めて店内を探すも見つからない。仕方がないのでA藤は店員さんを呼んだ。20代半ばくらいの若くて爽やかなイケメンだったことを覚えている。

「あ、あのぅ……。浣腸が欲しいんですけど……」と、A藤。買うモノがモノだけに、さすがに恥ずかしそうだった。

「はい!ありますよっ♪」と、イケメン店員はどこまでも爽やか。こちらが恥ずかしがっていることが馬鹿らしくなるくらいの神対応だった。しかし、その後、イケメン店員から信じられないひと言が放たれた。

「大人用と子供用とありますが、どちらがよろしいでしょうか?」

困惑するA藤。そもそも浣腸されるのは犬だ。大人用とか子供用とか言われてもわからない。困った挙げ句、

「あ、あの、飼っている犬が便秘で……。犬に……スルんです」と、やむにやまれない事情を打ち明けた。

「そのワンちゃんはどれくらいの大きさですか?」と、イケメン店員。まったく表情をかえることなく、クールに聞いてきたので、A藤は両手を広げて、犬の大きさを伝えた。

「その大きさでしたら……子供用で大丈夫だと思います。代金は○○○円になります」と、子供用の浣腸を袋に入れた。

何なんだ?このやりとりは(笑)。私なら爆笑必至なのに、店員さん、アンタはスゴイよ!プロとは彼のような人のことを言うのだと思った。

A藤は財布からお金を取り出すと、イケメン店員は金額をレジに打ち込んだ。ピッ、ピッとキーを打つ音が聞こえたと思ったら、私たちの視界からイケメン店員が突然消えた。

よく見ると、レジカウンターの下に座り込んでいた。しかも、小刻みに肩が震えている。もう、どうにもこうにも堪らず、笑っていたのだ。そんな姿を目の当たりにした私たちも堰を切ったかのように大爆笑。声を出さずに控えめに笑っていたイケメン店員も大爆笑。店内は大爆笑に包まれた。

今でも、思い出すと笑える。

人は年をとるとともに、笑ったり、泣いたり、喜んだりと感情を露わにすることがなくなる。世間的にもそれをヨシとしないのは、周りの人への配慮だったり、恥ずかしさだったり、ガマンすることが美徳とされていたりするからだろう。でも、ときには思いっきり笑ったり、泣いたりした方が身体にも心にもよいのは間違いない。

私は感情こそがモノを創り上げる原動力であると考えている。とくに、笑うことは生き方さえも変える力を持っていると思う。

みんな、笑おうぜ。

ミシュランにモノ申す。

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昨日、7月13日(土)発売の『おとなの週末』8月号にて、4P特集「緊急提言 これでええんかてぇ!? ミシュランガイド 愛知・岐阜・三重版」を担当した。

『おとなの週末』の仕事は、実に1年ぶり。今回は、というか、いつも「これは!」と思ったらプランを送るようにしていて、今年5月に発売された「ミシュランガイド 愛知・岐阜・三重 特別版」に対して私の言いたいことを全部書いてやろうと思ったのが発端だった。

で、企画のタイトルは、「緊急提言 これでええんかてぇ!? ミシュランガイド 愛知・岐阜・三重版」(笑)。

ミシュランガイドが発売されて、地元メディアは大騒ぎしていた。それを私はとても冷めた目で見ていた。なぜなら、「ミシュランがなんぼのもんじゃい!」って思っているから。『おとなの週末』の編集やライターは、客に扮して店を訪れて「覆面調査」をした上で取材する店を決めているので、どうしても今さら感が否めないのだ。

あ、断っておくが、星付きの店は別だ。星を獲得した店とそのシェフに対しては、素直にスゴイと思うし、敬意を表したい。

私が問題視しているのは、ミシュランの調査員が名古屋めしをきちんと評価できたのか否か。さまざまな観点から疑問を呈しているので、是非、買って読んでいただきたい。

そもそも、ミシュランと聞いただけで、盲目的に信じてしまうのはいかがなものか。一般人ならまだしも、地元メディアはまったく検証していないどころか、お祭り騒ぎ。

ミシュランがそんなにスゴイのか?地元グルメなら、ミシュランの調査員よりも自分たちの方が詳しいと思わないのか?それが私は不思議でならないのである。

おそらく、地元のメディア関係者でミシュランに対してモノ申しているのは私だけだと思う。だから嫌われるんだろうな(←勝手にそう思っている・笑)。

あ、『おとなの週末』8月号では、「覆面ライターの1ヶ月食ダイアリー」も担当した。こちらは、日記形式でその日の出来事や食べたものを紹介するというもの。自身で1ヶ月間を振り返ると、本当にいろんなものを食ってるなと実感(笑)。

何度も書くが、是非、買って読んでいただきたい。いや、買ってください。お願いいたします! 

義父のような人になりたい。

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女房の両親のことが私は大好きだった。

できることなら、義父母の子供になりたいとさえ思った。

 

今日、ふと、以前に女房から聞いた話を思い出した。

 

女房が高校生の頃、自転車を盗まれた。

近くに乗り捨ててあるかもしれない。

と、義父は女房を連れて近所を探した。

その読み通り、自転車は見つかった。

 

ところが、乱暴に扱ったのか、自転車はボロボロ。

どうしてこんな酷いことをするんだろう……。

女房は悲しくなった。

 

自宅に自転車を持ち帰り、義父は修理をしながら

「きっと、裕美の代わりになってくれたんだね。

裕美がこんなことにならなくて本当によかった。

ありがとう。ありがとう……」

と、自転車にお礼を言っていたという。

 

私も義父のような、愛深い人間になりたい。

絶対に譲れないもの。2

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不思議なことに、カメラマンになろうと決めてから、劣等感はなくなっていった。と、いうか、まったく気にならなくなった。勉強ができないことくらい、どうってことはないと思っていた。

なぜなら、英語も、数学も、国語も、社会も、化学も、物理も、よい写真を撮るのにまったく必要がないからだ。とくに高校時代の3年間はトータルで数時間しか勉強していないという(笑)、人生でもっとも自由な時間を過ごした。

何よりも大切にしていたのは、友達との時間。一緒に笑ったり、泣いたり、時にはヤンチャをしたり、その時期にしかできないことを存分に楽しんだ。そんなごくありふれた経験こそが、モノを生み出す原動力になると思っていたのだ。それは今でも間違っていないと確信している。それもあって、私はこれまで息子たちにただの一度も勉強しろと言ったことがない。

早いもので写真に携わるようになって、30年が経った。文章まで書くようになったのは、まったくの想定外だったが。20代、30代の頃はとにかく沢山の仕事をこなすことを第一としていた。自分自身のやってきたことを振り返る余裕もなく、前だけを見てガムシャラに突っ走ってきた。

40代になり、仕事の量は激減した。当然、売り上げも急降下。出版不況といえばそれまでだが、それを言い訳にしたくなかった。自分が使い捨ての、便利屋的な存在であることを認めてしまうことになると思ったのだ。仕事の量は少なくても、自分にしかできないことがあるはずだという思いで40代を生きてきた。

今年4月には50歳となった。今もこれから老後を迎えるにあたって安心して暮らすことができるかを考えると不安でたまらない。しかし、それよりも何かを表現する者として、このままでよいのかという気持ちの方が大きい。

もちろん、自分にしかできない今の仕事にやり甲斐も十分に感じているし、オファーをくださる方には感謝しても足らないほどだ。でも、このブログで何度も使っている「内なる自分」が満足しないのである。

「お前はまだまだ!」、「お前はこのまま満足してよいのか?」と、挑発するかのように心の中で語りかけてくるのだ。それに何としても応えたいし、勝ちたい。勝たねばならない。そのせいで写真のことばかり考えている。

とにかく、写真が好きなのだ。できることなら、ずっと好きなものにレンズを向けて、シャッターを押していたい。この気持ちは、初めてカメラを触った14歳のときからまったく変わっていない。私にとって、絶対に譲れないもの。それは、やはり写真を撮るということなのだ。

 

※写真は、愛知県春日井市にある、きしめんの名店『えびすや 勝川店』の店主、伊藤辰男さん。お店の詳細については、いずれまた書くのでお楽しみに。

絶対に譲れないもの。1

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年をとったせいか、幼い頃のことを思い出す。

1969(昭和44)年4月25日、私はこの世に生を受けた。母によると、出産予定日は6月だったという。体重はわずか2160グラムしかなく、仮死状態で生まれた。医者が尻をパンパンと叩き、やっと産声を上げたらしい。もちろん、私は覚えていないが。

未熟児で生まれてきた私を父母はとても心配したと思う。そのあまり、やや過保護気味に私を育てた。しかし、父母が心配すればするほど私は病気ばかりしていた。小学校4年生と5年生のときには風邪をこじらせて入院したこともあった。

どの時代もそうだと思うが、小学生の頃は、勉強ができることよりも運動のできる者がスター扱いされる。体力に自信のない私は幼少期から劣等感を抱いていた。幸いなことに性格は明るい方だったので自分の殻に閉じ籠もることはなかったが。

しかし、一つ劣等感を覚えると、あれもこれも人より劣っていると思ってしまう。いつの間にか自分はダメ人間なんだとレッテルを貼り、将来を悲観的に考えていた。それが顕著だったのは、やはり思春期を迎えた中学生くらいのときだろう。

テストで悪い点を取る。すると、こんな点数ではこの程度の高校しか行けないと考える。さらに、こんな高校ではこの程度の大学、こんな大学ではこの程度の会社といった具合に。

今思えば、この発想は社会主義っぽい。なぜなら、人としてのやる気や成長をまったく考えていないんだから。まさに日教組による戦後教育の賜といえよう(嘘)。実際、こんな不公平な世の中は嫌だと思っていた。そのくせ、自らは何の努力もしていないくせに。まぁ、中学生だからね(笑)。

そんなとき、親からカメラを貰った。それもプロが使うCanon F-1というカメラ。ファインダーを覗き、露出を確認する。そして、ピントを合わせてシャッターを切る。今のデジタル一眼と違って、撮影するまでやることが沢山あった。でも、楽しかった。夢中になった。

思った通りの写真が撮れたとき、何物にも代えがたい喜びを感じた。ファインダー越しに見る世界が、それまで感じていた不公平な世界ではなく、自由で楽しい、まったく違う世界に見えた。いつしか、写真で食べていけたらと考えるようになった。

つづく。

嘆くな。喜べ。

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オノレの人生を、嘆くな。

オノレの運命を、嘆くな。

人生なんて、運命なんて、

そんなに容易く変わるものではない。

カタチに現れないのは、

ラクすることや稼ぐことを最優先にして

何十年にもわたって

ルーティーンを繰り返してきた結果だ。

すべての責任は自分にあるのだ。

それを受け容れろ。

そして、

オノレの人生を、運命を、

嘆くよりも、喜べ。

なぜなら、

ラクすることや稼ぐことの無意味さに

気がついたのだ。

人はいつでも、いくらでもやり直しができる。

こんなに喜ばしいことはない。