永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

チャーラーの旅。27

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仕事柄、土地勘のない場所へ行くことがある。昼過ぎに取材がある場合、どこでランチをするかを事前にリサーチする。しかし、急がしくて時間がないときは、適当な店を行き当たりばったりで見つけるしかない。

では、事前リサーチもなく、取材の時間までギリギリという場合はどうするのか?私はチェーン店を選ぶ。味に大きくハズレることがないからである。ってことで、出張先で超久しぶりに『ラーメン横綱』へ行ってきた。

30代の頃は本当によく行った。それこそ、深夜1時とかに食べに行ったこともある。ところが、40代に入ってめっきりと減った。こってりとした豚骨醤油を中年の胃袋が受け付けなくなったのだ。とはいえ、取材の時間が迫っているわ、お腹が空いているわで、たまたま見つけた店へ飛び込んだのだ。

メニューを見て驚いた。昔は「ラーメン」と「チャーシューメン」しかなかったのに、「野菜ラーメン」や「彩ラーメン」なんてのもある。おっ、「鉄板チャーハン」があるではないか。「チャーラーの旅。」に使えると思い、注文することにした。

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これが「鉄板チャーハン」。熱々の鉄板の上に味付きのご飯が盛られている。具材はチャーシューがほんの少しとネギのみ。

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鉄板に溶き卵を投入して、かき混ぜて作るのである。鉄板は熱してあるとはいえ、ガスコンロとは火力や温度がまったく違う。はたしてうまく作れるのか……。

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ふぅ……。何とか、できた。なんか、ご飯がパラパラでもないし、しっとりでもない。火加減を調節するのを間違えて失敗したような出来映え(笑)。

実際に食べてみると、やはり美味しくない。味が濃いとか薄いとかそういう問題ではない。チャーハンの美味しさを決める重要な要素である食感がイマイチなのだ。

町中華の、業務用コンロの超火力で中華鍋を振りまくって作ったチャーハンとは雲泥の差。チャーハンはプロの技を堪能するメニューであることをあらためて実感した。

早い話が、何でカネ払って自分で作らなきゃならないのかってことである。おそらく、いや、間違いなく、厨房で炒めていたら、オペレーション的に相当な負担がかかるからだろう。だから、鉄板に盛って客に作ってもらえばよい、と。

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あ、これ、お馴染みの『ラーメン横綱』の「ラーメン」ね。これは相変わらずの味。入れ放題の九条ネギを山盛りにして食ったのは言うまでもない。

気になったのは、チャーハンを作っている間に麺がのびてしまったこと。調理済みのチャーハンであればこんなことにならなかったと思う。

『ラーメン横綱』は、もともと屋台のラーメンがルーツらしい。ゆえに、チャーハンなんて必要ないのだと思うのだが、いかがだろう?

矛盾に満ちた世界で明るく生きる。

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先日、同業者と飲んだ。私のカメラマンとしての、ライターとしての能力のなさを見透かされているような気がして、ひと昔前は同業者と飲むのが実は苦手だった。

しかし、50歳となり、残りの人生を変えたいと思ったとき、できるだけ多くの人と交流しようと決めた。自分で言うのもアレだが、かなり成長したと思う。

さて、飲みながらライターとして影響を受けた作家の話になった。ある者は中上健次、ある者は山田詠美だった、と。

私はというと、本はドキュメンタリーかノンフィクションしか読まないため、影響を受けるというよりもテーマや取材の手法から刺激を受けるという感じなのである。

しかし、小説ではなく、漫画は小学生の頃から読んでいる。中でも影響を受けたのは、手塚治虫だった。

手塚漫画は、人間を「悪」として描かれることが多い上、ハッピーエンドで終わる作品も少ない。例えば、『鉄腕アトム』。ロボットであるアトムが人間的な感情を持っている正義の味方であり、アトムを作った人間が悪役なのである。そんな作品を小学生から熟読していたら、どうなると思う?

矛盾に満ちたこの世界で生きることに希望を見出せず、人生に絶望しましたよ、ええ。頭が良いわけでもなく、運動ができるわけでもなく、家が金持ちでもないオレはどのように生きていけばイイんだって。

とくに中学生になると、中間や期末のテストでクラスや学年の順位がリアルに伝えられるから、余計に絶望した。とくに勉強にまったくやる気が起こらなかった。クラス順位を鑑みて、これくらいの高校しか行けない。その高校からは三流大学しか行けない。就職先も中小零細企業……。そんな人生を描いていた。今思えば、なんてカワイクない中学生なんだ(笑)。

でも、ある日あるとき、自分の力を限定しているのは親でもなければ、学校の先生でもない。ましてや友達でもない。自分自身であることに気がついた。それを絶対に認めなければ、自分の未来を切り拓くことができるのではないかと思ったのだ。

人生観が変わると、目の前がパーッと明るくなった。偽善だと決めつけて冷めた目で見ていたことが実は善意に溢れていたり。「甘いわ」と言われるかもしれないけど、自分はどこまでも「性善説」を信じようと思った。前にブログにも書いたが、騙す側よりも騙される側の方がいいと今も思っている。

手塚漫画に出会ったことを後悔はしていない。それどころか、今もときどき読んでいるし、世の中の矛盾に対して憤りを感じることだって多々ある。我を忘れて怒り狂うこともあるさ、そりゃ。

でも、若きと老いたると問わず、夢を描いた者が報われる世界にしなければならないし、それを作るのはわれわれ大人の責任だと思っている。

※写真は、同業者との飲み会の会場となった名古屋・栄4丁目『串カツ 青山七丁目』の「味噌串カツ」。ほかにも「どて煮豆腐」や「手羽先唐揚げ」など名古屋めしが揃う。安くて旨い私お気に入りの店の一つです。店主の青山さん、ありがとうございました!

aoyama7chome.com

亡き娘への手紙。

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みどりちゃんへ。

今年もこの日がやってきました。不思議なことに毎年10月5日は、直前にどれだけ忙しくても、この日だけはぽっかりとスケジュールが空くのです。きっと、みどりちゃんもお父さんに会いたいと導いてくれているのだと思い、毎年驚きながらも感謝しています。

今でもみどりちゃんのことをよく思い浮かべます。きっと、永谷のおじいちゃんとおばあちゃん、知多のおじいちゃんとおばあちゃん、明美おばちゃんに可愛がってもらっているだろうなって。皆、子供が大好きだから、きっとみどりちゃんも寂しくはないだろうと思っています。

あれから17年が経ちました。お兄ちゃんたちは2人とも大学生になりました。みどりちゃんが生きていたら、高校生ですね。友達と遊んだり、恋をしたり、人生でいちばん楽しい時間を過ごしていたかもしれません。

その反面、思春期を迎えて、いろんなことで悩み、苦しみながらもこれからの生き方の指標とするものと出会う時期でもあります。

でも、みどりちゃんはそれらを経験することなく、一足跳びに人生を駆け抜けていきました。お父さんとお母さんはとても寂しかったけど、この世の人生という学校を優秀な成績で卒業したのだと思っています。

と、同時に、みどりちゃんは短い生涯を終えると自分でわかっていても、お父さんとお母さんを選んでくれたことを私たちは生涯忘れないし、感謝しています。そんな気持ちで「みどり」という名前をお父さんの正樹、お兄ちゃんの大樹、和樹の「樹」から新緑をイメージしてお父さんが名付けました。

みどりちゃんと違って、お父さんとお母さんは出来が悪いので、なかなか人生学校を卒業させてもらえませんが、いつか必ず会える日が来ると信じています。そのときは、お兄ちゃんたちの幼い頃にしていたように、思いきりみどりちゃんを抱きしめます。それを楽しみにしています。

みどりちゃん、これからもお父さんとお母さん、お兄ちゃんたちを見守っていてね。

これまで10月5日は平日ばかりでした。お母さんは仕事があるので、いつもお父さんしか会いに行けませんでした。お母さんと話し合って、一緒に行った方がみどりちゃんも喜ぶだろうと、今年はお母さんの仕事が休みの10月6日の日曜日に行くことにしました。一日遅れになってしまったけど、待っていてね。

お父さんより。

ネットの功罪。

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本や漫画、映画など私は繰り返し読んだり、観たりする。先日、宮部みゆき原作の映画『ソロモンの偽証』を久しぶりに観た。もう、4、5回目くらいだと思う。

www.youtube.com

あらすじなどは検索すれば沢山出てくるので、興味のある人はそれを見てくださればよいのだが、物語の最後の最後に、こんなセリフがある。

「心の声に蓋をすれば、自分が見たいものしか見えなくなるし、信じたいものしか信じられなくなる。そのことが一番、怖いことなんだなぁ」

思わず、ドキッとした。

ネットはすごく便利なツールであるし、私の仕事には不可欠なものである。

しかし、ネットによる功罪は、間違いなくある。人は自分が見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないからだ。

定年退職した父親が、一人暮らしを始めた息子が、家族の知らない間にネトウヨになっていた、というケースをよく耳にする。

自分の思想に合う情報、それもソースのはっきりしないものまで集めて、ファクトチェックせぬまま垂れ流す。さらには、同じ思想を持つ者とネット上で交流を持つようになると、さらにタチが悪い。

自分たちの思想に反するものはすべて排除する。周りもそれを止めないどころか煽りたてる。「日本から出て行け」、「やっつけろ!」、「殺せ!」と、どんどん過激になっていく。

本人は、国を愛するあまり、義憤にかられてのことだと言うだろう。しかし、そんなものは愛国でも何でもない。

そもそも、匿名で寄って集って誰かを、特定の国をつるし上げるという行為は、日本人として恥ずかしくはないのか。ってことを書いている自分も恥ずかしいわ。

ネットの世界だけで生きている者は、文字面だけで相手を判断してレッテルを貼る。いや、文字面しか判断する材料がないからそれは仕方のないことかもしれない。

しかし、人は黒か白、右か左と単純に分けられるものでもない。「反日だ!」、「工作員だ!」とのレッテルを貼られた人にも生活があり、家族がいる。冷静になればわかることも、ネットを介するとわからなくなる。それがネットの怖い部分でもある。

私には思想や信条がまったく異なる友達がいる。思想や信条は互いに相容れなくとも友達は友達なのだ。それが現実を生きるということではないだろうか。

美しく生きたい。

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私が20代、30代の頃、ドレスコードとまではいかないにしても、TPOへの配慮が暗黙の了解としてあった。つまり、高級フレンチであればそれなりの格好をしてくる、ということである。

何年か前にあるフレンチレストランへ取材へ行ったときのこと。ランチタイム終わりに行くと、ちょうど客がフロントで支払いをしているところに出くわした。若いカップルだったが、その男性の姿を見て、私は言葉を失った。

なんと、Tシャツに短パン、ビーチサンダルという出で立ちだったのだ。彼を会計を済ませると、サンダルをペタペタと鳴らしながら帰って行った。ドレスコードというのはもはや死語であると悟った。

同時に、彼らはとてもソンをしていると思った。目一杯にオシャレをして、好きな人と食事をするという楽しさを知らないのだ。コンビニへ行く感覚でフレンチレストランにも行くという感覚というかセンスは理解に苦しむ。

逆のパターンもある。高級車でファストフード店やファミレスへ行くのもいかがなものかと思う。高級車を買うお金があるならば、もっと相応しい店があるだろうに。高級車に乗っている人が煽り運転をしたりするのも同じようなものを感じる。

それは、貧しさだ。心の。高級店にTシャツに短パン、サンダルで行く人も、高級車に乗ってファストフード店へ行く人も正直、カッコ悪い。美しくない。

分相応、ということを私は言いたいのではない。お金を持っているとか持っていないとかに関係なく、カッコ良く、美しく生きたいのだ。わかるかなぁ。

写真は、ある日の朝食。本文とまったく関係ないと思うだろうが、実はそうではない(笑)。毎朝、私は冷蔵庫にあるものを見て朝食に何を作ろうかを考える。そして、作りながらその日のスケジュールを頭の中で整理する。

このルーティーンは、モノを創る、私の場合は写真を撮ることや、文章を書くことだったりするが、その力を養うことに繋がっていると思っている。美しく生きることは、日常生活の中のほんの些細なことからはじめてもよいのだと思う。

お袋の味。

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母が亡くなってから7年半。

最近、母が作ってくれた料理をよく想い出す。

 

今思えば、母は料理が得意だったと思う。

手作りのエビフライやハンバーグ、旨かったなぁ。

店で食べるよりも旨かった。

 

今でこそ私は食べ物の好き嫌いはほとんどないが、

幼い頃はかなりの偏食だった。

心配した母は、あの手この手で食べさせようとした。

それもあって料理が上達したのかもしれない。

 

母の料理を最後に食べたのは、いつだろう。

晩年は寝たきりになり、入退院も繰り返していたから、

家事はすべて女房に任せていた。

次男が生まれて私たち家族と別居するまでは

まだ台所に立っていたと思う。

と、いうことは2002年頃、か。

 

17年間も食べていないのに、

その間、もっと旨いものを食べているはずなのに、

母が作ってくれた料理を今でも想い出す。

やはり母の料理というのは、

子供にとって特別なものなのだろう。

 

子供の頃に好きだった

エビフライやハンバーグよりも、

実は嫌いだった料理を想い出す。

 

例えば、煮詰まった味噌汁。

両親は生まれも育ちも名古屋なので、

味噌汁は赤だしだった。

朝に昼と夜の分も作り、その都度温める。

具材にナスや里芋を入れると、

溶けてドロドロになった。

それが私は嫌いだった。

でも今、無性に食いたい。

 

あと、天ぷらを揚げた翌日に作る天丼。

冷蔵庫に入れていた残り物の天ぷらを

やや辛口の天つゆでネギとともに煮込むのだ。

つゆが染みた衣はフニャフニャ。

それが私は嫌いだった。

でも今、無性に食いたい。

 

女房に頼んで作ってもらうこともできるし、

自分で作ろうと思えば、作れる。

でも、やはり、母が作ったものを食べたい。

女房の写真。

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手元にカメラがあり、目の前に女房がいると、つい、反射的に写真を撮ってしまう。結婚してから、いや、結婚する前からずっとそんな感じだから、もはや習慣化していると言ってもよい。

女房の写真。いわば、極私的写真である。が、第三者に見せると、それは作品となるのではないか。そんな思いから、ときどきFacebookに友達限定で公開している。そんなときは珍しく(?)女性から「いいね!」が沢山もらえる。

「なぜ、撮るのか?」と、よく聞かれる。「手元にカメラがあって、目の前に女房がいたから」と答えている。Facebookで公開すると、見た方から「愛だわ~!!」みたいなコメントをいただくこともある。

たしかに愛がなければ写真なんて撮らない。でも、それだけではない。レンズを向けるということは、私にとって女房という存在は、何かしらのこだわりがあるのだと思う。現時点ではうまく説明することができないが。「なぜ、撮るのか?」の答えを見出すために撮っているのかもしれない。 

「奥さん、よく嫌がらないね」という話もよく耳にする。カチッとメイクした顔ならまだしも、スッピンだろうが構わずに撮るから、きっと嫌だろうと思う。「フォトハラスメントだ!」なんて女房に訴えられて裁判になったら……負けるだろうな、きっと。

でも、撮らせてくれる。今のところは。カメラマンの女房であることを自覚しているからなのか、それとも、撮らせないと私がうるさいからなのかは直接聞いたことがないから、よくわからない。撮らせてくれるのだったら、どちらだろうが構わない。

トップの写真は、Facebookでとくに評判が良かった一枚であるが、公開してから

「私もあんな風に撮ってもらいたい!」と多くの方に言われた。きっと、社交辞令だろうが、結論から言えば無理である。女房とは25年も一緒に暮らしているのである。その時間がそのままカメラと被写体の距離感になるからだ。本当に同じ写真を撮ってもらいたいのであれば、覚悟(?)が必要だ。

女房は絶対に反対するだろうが、結婚する前から現在までずっと撮影してきた写真で写真展をやりたい。写真としては何の面白みもないかもしれないが、一人の女性、それも写し手の女房の記録写真としてであれば、十分に成立するような気がするのだ。まぁ、絶対に反対されるけど。