永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

味噌煮込みうどんは一宮で生まれ、名古屋で進化した?

所用で一宮へ。そのついでに味噌煮込みうどんを食べた。一宮で味噌煮込みうどんといえば、真清田神社からほど近い『太田屋本店』である。店内の壁にかかったお品書きには「味噌煮込みうどん」ではなく、シンプルに「うどん」と記されている。麺類はこの「うどん」のみ(夏季は「ざるうどん」と「ざるうどんと海老と小柱のかき揚げ」もあり)。だから、来店すると人数に合わせて「○杯お願いします」と、店員さんは厨房に声をかける。

味噌煮込みうどんの必須アイテム、「御飯」も注文。トッピングは「玉子」。生と半熟、つけ玉子から好みのものを選べるようで、半熟をセレクト。ほかには「とろろ」と「もち」があった。お酒は「ビール」と「酒」のみ。つまみは「口取り 板わさ」と「海老と小柱のかき揚げ」。このメニューの少なさに潔さを感じた。

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待つこと約15分。目の前に運ばれたのがこれ。ご覧の通り、土鍋ではなく、丼で出てくるのがここの特徴だ。玉子は専用の道具を使って作ってあるのか、実にキレイな形をしている。麺は細めで平打ちの乾麺。しっかりとしたコシがあり、濃厚なつゆとよく合う。

公式HPには、「秘伝のタレなど7種類の味をブレンド」と、ある。秘伝のタレというのは、おそらく豆味噌を使ったタレだろう。つゆは名古屋の味噌煮込みうどんに比べてかなり濃厚だが、ダシの味と香りもかなり強い。

さらにつゆを美味しくさせているのは、かしわの存在だ。かなり歯ごたえがあり、味が濃厚なので、「ひね」(卵を産まなくなった鶏)を使っていると思われる。鶏の旨みがダシの旨み、豆味噌のコクと“三味一体”になり、めちゃくちゃ御飯がすすむのである。玉子がやわらかすぎるのと、レンゲが付いてこないのとで玉子を御飯にのせて〆ることができなかったが、十分に堪能できた。

実は味噌煮込みうどんは一宮が発祥という説がある。しかも、その発祥の店がこの『太田屋本店』というのだ。「愛知県めんるい組合」のHPには、

「家庭料理であった『味噌煮込みうどん』がお店で売られるようになったのは、明治の初めころに尾張一宮で始まったとされています。織物工場で働いている人たちの昼食が、それまでの給食ではなく飲食店でとられるように変わっていったことによると思われます。社会のさまざまな変化によって日常の食事がお店で売られるようになり、特別な時の食事になっていったのでしょう。明治の終わりころには、一宮のうどん屋さんが名古屋へ出向いて『味噌煮込みうどん』の講習会を開きました。これにより売られる地域が広がり、名古屋を中心とした地域でよく食べられるようになりました」とあり、一宮発祥説を公式見解としている。同じ話を一宮在住の友人からも聞いたことがあるので、一宮の人々は「一宮こそ味噌煮込みうどん発祥の地である!」と思っているのだろう。でも、声を大にして訴えないところが一宮の人々の奥ゆかしさなのだ(笑)。

一宮で生まれた味噌の込みうどんが講習会を通じて(または名古屋のうどん屋さんが一宮へ食べに来て)名古屋へ広がる際に、土鍋で提供するというスタイルを確立させたのではないかと私は推測する。大正14年、大須で創業した『山本にこみ(山本屋)』の流れを汲む『山本屋 大久手店』5代目の青木裕典さんによると、「祖母に創業当時から土鍋を使っていたと聞いています」とのこと。

土鍋は冷めにくい上に、土鍋一つで調理できる。客側にも店側にもメリットがあるのだ。そこに着目したところが実にモノづくりのまち・名古屋らしい。従来のものにアレンジをくわえて、まったく新しいものにするというのは、今も昔も名古屋のお家芸なのかもしれない。