永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

きしめんといもかわうどん2

いもかわうどんを再現しているのは、刈谷市一ツ木町にあるうどん店『きさん』。詳しく話をうかがう前にまず、いもかわうどんの麺を見せていただいた。

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これがいもかわうどんである。平打ちなのはきしめんと変わらないが、最大の違いは色。きしめんは真っ白だが、やや黄色がかっているのだ。これもまた店主による推測が基になっている。

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「いもかわうどんは平打ち麺であること以外は判っていません。江戸時代、塩はたいへん貴重なものでしたから、塩水は使えないのではと考えました。だから味噌煮込みうどんと同様に小麦粉と水のみで打ちました。また、今のように製粉技術も進んでいなかったでしょうから、あえて小麦の皮のギリギリまで使い、粗く挽いた全粒粉も使っています。麺が真っ白ではなく、やや黄色いのはそのためです」と、店主の都築晃さん。

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話を聞いているうちに、どうしてもいもかわうどんが食べたくなった。で、作っていただいたのがこの「キジメン」だ。そう、きしめんの名前の由来である「雉麺」説に基づいてメニュー化したそうだ。

以前は本当に雉肉を使っていたそうだが、入手が困難となってしまったため、現在は鶏肉を代用している。たまり醤油を使ったつゆのまったり感と噛むごとに小麦粉の味と香りが広がるいもかわうどんは絶妙な組み合わせ。いやぁ、旨い!

「たまり醤油やみりんは三河産のものを使っています。本来ならば、小麦粉も地元のものを使いたいのですが、なかなかそれが難しくて県内産の小麦粉『きぬあかり』と北海道産の強力粉、国産全粒粉をブレンドしています」(都築さん)

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麺そのものの素朴な味を楽しむには「ざる芋川うどん」がオススメだ。小麦の皮、いわゆる「ふすま」が入った麺はザラザラとした舌触り。厚みもあるので、すするよりもしっかりと噛んで野趣溢れる味わいを堪能したい。

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こちらは「味噌煮込み芋川うどん」。実はこれこそが都築さんがイメージするいもかわうどんに最も近いものだという。

尾張三河を隔てて流れる境川三河側、現在の刈谷市北部が三河国芋川にあたります。江戸時代、芋川にあった茶店で売られていた平打ちのうどんがいもかわうどんとよばれていたようです。今のように茹でた麺とつゆを合わせるのではなく、大量の麺をつゆとともに大鍋で煮込んでいたのではと思います。また、岡崎の八丁味噌をはじめ、三河地方は豆味噌が身近な調味料ですから、当時は味噌鍋にいもかわうどんを入れて提供していたのではないかと。もちろん、推測の域は出ませんが」(都築さん)

フーフーしながら、ひと口食べてビックリ!八丁味噌ベースのつゆがいもかわうどんの小麦の味と風味を見事なまでに引き出しているのだ!目を閉じて食べると、江戸時代の街道を行き交う人々の賑やかな声が聞こえてきそうだ。

都築さんによると、現存する書物でいもかわうどんが登場するのは、1658年に浄土真宗の僧侶で仮名草子作家の浅井了意(あさい りょうい)が神社仏閣名所旧跡を訪ねながら江戸より宇治までの旅を記した『東海道名所記』が最古。

1658年といえば、江戸初期である。一方、きしめんは前にも書いた通り、江戸末期から明治初期にかけて今のスタイルを確立されていた。約200年以上の時を経て、三河で生まれたいもかわうどんが名古屋へ伝わったとしてもおかしくはない。そんなことを考えながら食べるのもまた楽しい。