永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

天むすの生まれは三重、大きく育ったのは名古屋

「なごやめし」の一つとして知られる天むす。と書くと、「天むすは三重県が発祥だ!名古屋はパクリだ!」と、主張される方もいるだろう。その気持ちも解らないではないが、天むすを自動車に置き換えてみよう。

自動車はわが国の主要産業であり、日本車の性能の良さは世界中が認めている。ガソリン自動車の発明はドイツのダイムラーとベンツ。その両社は「日本はパクリだ!」と、主張しただろうか。否、である。国産車がどんなに背伸びしても勝てない魅力が外国車にはあるし、当然ベンツやダイムラーだって日本車の性能を超える製品や、まったくコンセプトの異なる製品をめざしているに違いない。

実際、天むすが「なごやめし」であることに目くじらを立てる三重県の人は少数派だと聞く。これを徒に煽っているのはネットも含めたメディアではないのか。disれば数字が伸びるという安直すぎる発想で企画したことが見え見えである。それでいったい誰が得をするのだろうか。名古屋には名古屋の、三重県には三重県の良い部分がある。それをお互いに認め合って伸ばしていけばよいのだ。メディアも数字を取ったかのように見えても、大衆の心はどんどん離れていく。取材する側もされる側も見る側も誰一人として得をしないのだ。

さて、天むすは三重県津市にあり、当時は天ぷら店だった『千寿』が発祥。昭和30年代初頭に昼食用の賄い料理、車海老の天ぷらを切って、おむすびに入れたのがはじまりだ。その後、味付けなどを試行錯誤し、常連客に出していた。これが好評となり、メニューに加えられた。

一方、名古屋の天むすといえば、上前津にある『めいふつ 天むす 千寿本店』が有名だ。オーナーはもともと時計の卸会社を経営していたが不景気の煽りを受けて廃業した。今後の生活を考えるなかで、オーナーの妻が幼い頃に津で食べた天むすを思い出し、『千寿』の店主に天むすの作り方を請うた。

店主は頑なに拒んだが、自宅にまで通うなどして交渉を続けた結果、昭和55年に根負けした店主から味の伝授とのれん分けの承諾を得た。その際に「味を落とさないこと」と「レシピを変えないこと」が条件だった。ところが、名古屋では天むすの知名度が低く、というよりは、ほとんど無名だった。そのため、天ぷら専門店だと思って入店した客が何も注文せずに帰ってしまったりと、散々な幕開けだった。

そんな窮地を救ったのは2人の噺家だった。当時名古屋でレギュラー番組を持っていた笑福亭鶴瓶さんと春風亭小朝さんが天むすの味を気に入り、名古屋から次の現場への「名古屋土産」として大量に購入したのである。出演者やスタッフの間で評判を呼び、東京のテレビ局がこぞって番組で紹介した。天むす=名古屋名物をいうイメージを確立させたのだ。

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これが『めいふつ 天むす 千寿本店』の「天むす」。海老は天然もののアカシャエビをはじめ、時季ごとに厳選。米は富山県産や新潟県産のコシヒカリを使用。海苔は伊勢湾産、とシンプルな食べ物ゆえに食材にはとことんこだわっている。

ふんわりと握ってあり、口の中でほどけて、ご飯と海老天、海苔のそれそれの旨みが一体になる瞬間がたまらない。特筆すべきは絶妙な塩加減。海老の甘みやご飯の旨みを見事なまでに引き出していて何個でも食べられそうである。

ちなみに店名にある「めいふつ」とは、天むすを考案した津の『千寿』の女将が必ずこれを名物に育てるという決意を込めて、あえて濁点を取って「めいふつ」と名付けたのだ。その女将の思いはのれん分けした『めいふつ 天むす 千寿本店』にも受け継がれている。名古屋市内にあるほかの天むす店はうどんなどのサイドメニューを用意しているなかで天むすのみで勝負しているという点だ。その潔さもまた好感が持てる。