永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

ターニングポイント。【前編】

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性格上、私はあまり過去を振り返ったりしない。思い出したくないことも沢山あるし、どう頑張っても過去は変えることができないからだ。

しかし、年をとったせいか、昔のことを思い出せないことがたまにある。だから、忘れたくないこと、忘れてはならないことをブログに書いておこうかと。いつか読み返したときに初心に戻れるかもしれないし。

私が約半世紀生きてきた中でターニングポイントは2回あった。

一つは、26歳のときに勤めていた編集プロダクションを辞めてフリーになったとき。

編プロ時代は朝10時にはじまり、終わりはエンドレス。その日に帰ったことはほとんどない上に、編集部に毎日プランを送っていた。よいプランも、よい仕事もゆとりがあってこそ。お金ではなく、時間が欲しかったから、私はフリーという道を選んだ。

編プロ時代の掲載誌の切り抜きをファイルに入れて、東京の編集部へ売り込みへ行った。面会を断られることはほとんどなかった。地方在住のライターであっても、全国誌での仕事に手応えを感じていた。

とはいえ、すぐに仕事をもらえるわけではない。来る日も来る日もプランを送り続けた。中には売り込みへ行ってから、仕事のオファーを受けるまで1年以上かかった雑誌もあるほどだ。

「永谷さんのプランが通りました」との連絡を受けて、小躍りして喜んだのを今でも覚えている。編集部との信頼関係も築き、徐々に仕事が増えていった。

基本的にどんな仕事でも喜んで受けた。若さゆえにフットワークも軽く、必ず〆切よりも早く原稿を仕上げるようにしていたせいか、仕事が途切れることはなかった。売り上げは伸び続け、最寄り駅の近くに仕事場も借りた。キャッシュで新車も買った。

誰もが知っている雑誌で、しかも名古屋に居ながら仕事ができることを誇りに思えた。しかし、ほどなくしてもう一つの転機が訪れるとは夢にも思わなかった。

長くなるので、続きます(^^;