永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

「自分の気持ちに正直」は、正義か?

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人はあらゆることを選択しながら生きている。それこそ、「今日のお昼は何を食べようかな」という小さなことから、「これから自分はどう生きるべきか」という大きなことまで。

選択には、頼りになる「指針」が必要になる。私の場合、「自分の気持ちに正直であるか否か」ということだった。何よりも、自分自身に対して嘘をつきたくないというのが大きい。

それに、自分の考えはこうだから、これを選択する!と主張すれば、周りからも理解が得られやすいと思っていた。

「自分の気持ちに正直」というのは、どこか正義っぽく聞こえる。いや、実際に正しかったこともあるから、それを指針としてきたのだが。その反面、ときとして誰かを傷つけたり、人に迷惑をかけたりもする。

結果的にその選択は間違っていたことになる。つまり、いくら自分自身を偽っていないとはいえ、端から見ると、ただのワガママだったりするのだ。

大人になれば、物事を大局的に考え、冷静な判断ができると思っていた。でも、違った。そもそも、自分の気持ちなんてものは、何かしらのきっかけがあればすぐに変わる。コロコロ変わる。

そのときはよかれと思って選択したことが後になって激しく後悔したり。だから、今の私には「自分の気持ちに正直」というのは、嘘っぽく聞こえる。

では、何を指針とするべきか。頭の中ではその答えは出ていても、次に同じような選択を迫られたら、その答えの通りにできるという自信がない。人は失敗を繰り返しながら成長していくということも頭ではわかっている。

人生の折り返し地点を過ぎた今、正直、失敗することが怖い。だから、人は年をとると、守りに入るのだろう。しかし、それは私らしくない。何があっても物怖じせず、果敢に取り組んでいくことを理想としていたのではないのか。

この世に生を受けて49歳と約11ヵ月。私はいまだに生き方を迷っている。