永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

家族の思い出が詰まった店。

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私の父と母は、鰻が大好物だった。幼い頃から家族での外食は決まって鰻屋。そのせいか、私も鰻が大好きになった。私の知らないところで父と母はいろんな店を食べ歩いていたのだろう。

「美味しい鰻の店を見つけたから」と、私が大人になってからも鰻屋へ連れて行ってくれた。

父は西区城西で、母は大津橋で生まれ育ったこともあり、西区界隈の鰻屋へ行くことが多かった。しかし、私たち夫婦と同居生活がはじまってからは、自宅からほど近い岩倉市にある『うなぎ亭 不二』がお気に入りだった。

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私もこれまで父と母と一緒に訪れた鰻屋の中でいちばん旨いと思った。女房は鰻が苦手だったが、ここの鰻を食べてから大好物になった。

名東区で暮らす姉が実家へ帰って来たときなどによく食べに行った。まだ私の子供も姉の子供も小さくて、じっとしていられないので、いつも個室を用意してくれた。

子供と孫に囲まれて、大好物の鰻を食べる父と母は、きっと幸せだったに違いない。『うなぎ亭 不二』は、そんな私たち家族の思い出が詰まった店なのだ。

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昨年1月、店主の伊藤淳二さんとFacebookで繋がった。いつか行こうと思っていたが、今日、その機会に恵まれた。今月は私が誕生日を迎えるので、夫婦で行こうと思ったのである。

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伊藤さんはFacebookで、店の魅力を発信していた。それを見るたびに「素敵な店だなぁ」と思っていた。箸袋にあしらった折り紙で作った兜もその一つ。訪れた客は心がほっこりすると思う。この店にはそんな客への気遣いが満ち溢れているのである。

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私は上うな丼の「中詰め」を、女房は「ひつまぶし」を注文した。あらかじめ、Facebookで伊藤さんに今月は私の誕生日であり、店へうかがうことを伝えておいたので、誕生日のお祝いに「ニンジンのサラダ」をいただいた。ニンジンそのものの甘みとやさしい、ほのかな酸味が食欲をかき立てる。鰻が待ち遠しくなった。

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これが私の注文した「中詰め」。丼一面が鰻で覆われているだけでなく、その名の通り、ご飯の中にも鰻が入っている。鰻を見てもわかるように、表面は焦げていない。この絶妙な焼き加減が私は好みなのである。

まずは、いちばん上の蒲焼きからいただく。皮はパリッと香ばしく、身はふんわりというか、トロトロ。脂がとても上品で口の中でスッと消えていく。うん、やはり旨い!

たれの味付けは、甘すぎず辛すぎず、ちょうどよい塩梅。食べていてもまったく飽きがこない。ご飯の炊き加減も完璧。写真がなくて申し訳ないが、漬物は自家製。桜の季節らしく、桜の塩漬けのあしらいも。吸い物にも桜の形をしたカマボコが入っていた。もう、すべてがすばらしい!父と母との思い出も相まって、感動を覚えるほどの美味しさだった。

食後に伊藤さんは私たちの席まで来てくださり、少しおしゃべりをした。店は平成元年に開店したそうで、平成と、そして今度は令和と、2つの時代にわたって店が続くことになる。

私たち夫婦が結婚したのは、平成6年。父と母が亡くなったのは平成24年。頻繁に足を運んでいたわけではないが、実に18年間もお世話になっていたのだ。店の中にいると、いろんな情景が頭を過ぎる。幼かった長男と次男やまだ元気だった父と母。

入院している母のお見舞いへ行ったとき、テレビでうな丼の映像が流れたことがあった。それを見た母は、

「鰻が食べたいなぁ…」と呟いた。当時、母はすでに固形物を飲み込む力もなく、流動食になっていた。それでも鰻が食べたいという気持ちがあったのである。

しかも、母が食べたいと思い浮かべた鰻は、ここ『うなぎ亭 不二』の鰻だったに違いない。そう思うと、胸がいっぱいになった。ふと、女房の方へ目をやると、きっと同じことを考えていたのだろう。涙を流していた。先日、私たち夫婦は銀婚式を迎えた。女房もすっかり永谷家の一員になったのだと実感した。

私は鰻を食べるたびに母のことを思い出す。きっと、鰻に引き寄せられて(笑)、その場に母は来ているかもしれない。私の身体を通じて、母に美味しい鰻を味わってもらいたいと思っている。