永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

同慈同悲の心。

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5月8日の午前、滋賀県大津市の交差点で信号待ちしていた園児の列に車が突っ込み、園児と保育士ら15名が死傷した。園児13名のうち、2歳の園児が死亡した。

生まれてから、わずか2年で亡くなった子供や残された親御さんのことを考えると、胸が締め付けられる思いになるのは、私だけではあるまい。

また、親から虐待されて亡くなる子供も後を絶たない。そんなニュースを耳にしたときも同じような気持ちになる。

事故で亡くなった子供も、虐待で亡くなった子供も、赤の他人である。それなのに、悲しくなるのはなぜだろうか。

それは、心のずーっと奥の部分で繋がっているからだと私は思う。

痛ましい交通事故や虐待をきっかけに条例や法律が整備されることもある。しかし、なかなか再発防止にはならない。条例も、法律も、所詮は人間がつくったものであり、いわば「器」にすぎない。もちろん、この世の中をより良くするための知恵と愛に基づいたものではあるが。

肝心なのは、「器」の中にある私たちの心だ。誕生からたった2年という短すぎる生涯を終えてしまった子供たちへを思いやる心。そして、残された家族の苦しみや悲しみを思いやる心。

「同慈同悲(どうじどうひ)」という言葉がある。人の苦しみや悲しみを自分のことと捉えて、寄り添い、ともに泣き、立ち直るための手助けをすることである。

今回の事故で亡くなった子供たちの家族に、実際に私ができることは何もない。しかし、車の運転中に散歩をしている園児を見かけたときに、今回の事故のことを思い出して、安全運転を心がけることはできる。

「同慈同悲」を生きているのは、前にもブログで書いたが、皇室の方々ではないだろうか。災害時に被災者に寄り添い、励まされたのは今でも人々の記憶に残っている。

それは何も平成の時代だけではない。昭和天皇も戦後、愛する人を、家族を戦争で失い、打ちひしがれていた人々を励ますために全国をご巡幸された。それによって、国民は奮起し、奇跡的な戦後復興につながったのである。

ネットの普及に伴って、相手の気持ちを理解せず、一方的に叩きのめすような風潮がある。そこには憎しみや悲しみしか生まれない。ヘイトスピーチをする自称保守は、天皇陛下の「同慈同悲」の心、大御心から何も学んではいないのだろうか。

どんな人にも愛する人や家族がいるのである。あらゆる人に「同慈同悲」の心で接する。そんな人に私はなりたい。

写真は、岐阜・正法寺にある岐阜大仏。江戸時代に相次いだ地震や飢饉のために心を痛めた11代目の和尚が建立を思い立った。

大仏に使用する経本を集めるも思うように集められず、托鉢してひたすら集めた。12代目の和尚もまた先代の意志を継ぎ、計38年もかかって建立された。岐阜大仏は、両和尚の「同慈同悲」の心の顕れなのである。

写真はずいぶん前に撮影したものだが、また大仏様に手を合わせたくなった。