永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

料理の味や店の雰囲気は料理人の心境の顕れである。

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30代前半の頃、わりと頻繁に通っていた店があった。夫婦で営んでいた20席にも満たない小さな店だった。大将の目利きで仕入れた魚介のお造りや焼き物、椀物、おばんさい……。本当に何を食べても美味しかった。

また、女将のフレンドリーな接客がとても心地良く、いい意味で店の敷居を低くした。女将とは閉店後にもときどき飲みに行った。朝帰りになるが、若かったこともあって全然平気だった。あ、そういえば、義弟の結婚式の前日も女将と朝方まで飲んでいて、そのまま式場へ向かったっけ。女房にめちゃくちゃ叱られた(笑)。

通い始めたばかりの頃はメニューを見て注文していたが、だんだんと座っただけで料理が出てくるようになった。1人や2人で行ったときにはカウンター席で座る場所もほとんど決まっていた。その店は、実家に帰ってきたような、ホッとできる場所だった。

私自身、ちょうどこの頃に味覚が劇的に変わった。焼酎の美味しさを教えてくれたのもこの店だった。気の合う仲間たちとここでよく飲んだ。バカな話もよくしたが、それ以上にマジメな話もいっぱいした。仲間の一人がここで食べたときのお釣りを少しずつ貯めて、高価な焼酎のボトルを入れてくれたことがあった。その焼酎の旨かったこと!私は一生忘れない。

当時、私はグルメ取材をはじめたばかりで、この店が「基準」となった。ここと比べて美味しかったら取材して、美味しくなかったら取材しない、みたいな。私にとって、そんな店は後にも先にもない。

通い始めて何年か経った頃、一緒に飲んでいた仲間たちが東京に転勤となり、一人で行くことが多くなった。ある日、閉店後に女将と飲みに行くと、大将や義母との関係に悩んでいることを打ち明けられた。その頃に店へ行くと、前はあれほど美味しかった料理が美味しくなくなっていた。使っている食材も調理の技術も変わっていないはずなのに。

大将と女将の関係は修復できず、ついには離婚してしまった。それからも私は店へ通ったが、女将がいた頃と店も様変わりしてしまった。わかりやすい部分として、カウンターに並んでいたおばんざいがなくなっていた。それを楽しみにしていた私はがっかりした。

また、周年イベントに誘われて行ったにもかかわらず、イベント用に用意していた料理が品切れになっていた。結局いつも店で食べている料理になった。それもやはり以前と比べると美味しくなくなっていた。ここはもう、ダメだと思った。ほどなくして店を閉めたことを風の便りで耳にした。

料理の味も、店の雰囲気も、そこで働く人の心情に左右される。それは間違いない。料理はイライラしながら、モヤモヤしながら、プリプリ怒りながら作るものではない。それをわざわざお金を払って食べさせられた客はたまったものではない。

あえて偉そうなことを言わせていただくが、料理人たる者、厨房に入ったらプライベートなことはすべて忘れ、客をもてなすことに集中せねばならない。料理の腕だけではなく、気持ちを、心をコントロールする力も求められるのだ。

それは、カメラマンでもライターでも同じこと。私も現場に一歩足を踏み入れたら、よい写真を撮ること、よい記事を書くことに専念しているつもりだ。

ふと、そんなことを思い出した。