永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

私の仕事論。

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次男が高校生の頃の話。財布の中に1万円札がぎっしりと入っている友達がいたそうで、聞いてみると、そのお金は株の取引で儲けたものらしい。たぶん、親も株をやっているのだろう。株なんて大人であるテメェだけがしてりゃいいものを。義父も株やFXをやっていたが、女房や姉、兄、弟には勧めなかった。

「お前はそれ、羨ましいと思うか?」と、私が話を振ると、次男は困った顔をしていた。多少は羨ましい気持ちはあるのだろう。さらに私はこう続けた。

「将来、お前がどんな仕事をしようが、基本的にオレは反対しない。でも、モノを右から左へ動かしただけでお金を生むような仕事に就くというなら、オレは全力で反対する。額に汗するのが仕事ってもんだ。それをよく覚えておけ」と。

「働く」とは、「端(はた)」を「楽(らく)」にすることである。端、すなわち他者だ。つまり、本来、テメェがカネを稼ぐためのものではないのだ。カネはどれだけ他者を楽にさせたか。その結果にすぎない。

では、安い仕事は他者を楽にさせてないのかというと、そうではない。カメラマンやライターの場合、ギャラが高かろうが、安かろうが、やることはまったく同じである。

「この仕事は安いから照明を1つ減らそう」という発想にはならない。手を抜いたりもしない。そんなことをしていちばん損をするのは自分自身だからだ。

でも、やることは同じなのにもかかわらず、ギャラに差があるのは納得できないから愚痴のひとつもこぼしたくなる。覚えていないが、私はそれを女房に愚痴ったらしい。それが義母の耳に入った。

「安い仕事ほど、徳(とく)が積めるのよ」と、話を聞いた義母はそう言ったそうだ。

恐れ入った。その通りだと思った。やはり、仕事はカネではないのだ。それはアルバイトやパートであっても同じことだと思う。時間の切り売りなんてとんでもない話だ。

最後に、叶いやすい夢と叶いにくい夢について書こう。

叶いやすい夢というのは、自分以外の誰かのためになる夢だ。叶いにくい夢は、その逆。自分のためだけの夢。理由は簡単だ。自分がその夢を叶えさせてあげられる立場、それは仕事の採用担当だったり、神様でもいいや。その立場に立って考えればよい。

「あなたの夢は何ですか?」という問いに、誰かのためになる夢を語るヤツと自分のためだけの夢を語るヤツのどちらを応援したいだろうか。私は絶対に前者だ。

ちなみに私の夢は、「撮ル。書ク。喋ル。デ、世界ヲ明ルク。」

写真と文章、しゃべり(メディア出演や講演会など)で世界を明るくできたらと大マジメに考えている。