永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

恋バナ。3

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女将さんの息子さんが大将に弟子入りして魚のおろし方からシャリの炊き方、握り方を学んでいた。聞いてみると、通常は寿司職人になるまで5年、10年とかかるところをギュッと凝縮して数ヶ月で一人前にするらしい。

さすがにそれは無謀だと思った。が、大将の教え方がよかったのか、それとも才能があったのか、メキメキと上達していった。私も彼が握った寿司を食べさせてもらったが、シャリを口の中に入れたときのほどけるタイミングが違うだけでそれ以外はほぼ同じだった。

彼がひと通り仕事ができるようになったところで、大将は引退を宣言した───。

ショックだった。もう大将の握る寿司を食べることができないのだ。でも、店へ行けば大将直伝の寿司が食べられるという気持ちもあった。

いつ頃だったのかよく覚えていないが、大将が引退するかしないかの頃だったと思う。仲間内10人くらいで集まることがあって利用させてもらった。仲間たちに旨い寿司を腹一杯食べさせてやろうと思ったのだ。その日は大将が不在で、女将さんの息子さんが対応してくれた。

ところが、10貫出たか出ないかくらいで終わってしまったのだ。まだまだ食べられたので、少しくらい予算がオーバーしても構わないと思い、追加で注文することにした。たしかトロ鉄火を作ってもらったと思う。たしかに美味しかったが、お腹も心も満たされなかった。

それから、だんだんと足が遠のいてしまった。やはり、大将の握った寿司を、大将と話をしながら食べたいと思った。そのうち上前津から錦3丁目へと移転し、おまかせが1万円以上の高級店になった。もう、私なんぞは行けないと思った。

恋愛において女は「上書き保存」、男は「名前をつけて保存」といわれる。つまり、女は過去を振り返らず、男は良き思い出として残しておきたいというように男女で性質が違うのである。

私は大将の寿司が忘れられなかった。別の寿司店を取材しても、つい、大将の寿司と比較してしまう。どの店もたしかに旨いのだが、大将の寿司を食べたときの衝撃を超えることはなかった。次第にプライベートでも寿司を食べなくなってしまった。

ある日、女将さんから手紙が届いた。それは新店舗オープンの案内だった。丸の内で割烹をはじめるという。とはいっても、本格的な割烹料理ではなく、家庭料理の延長のようなもの。その名も「おうち割烹」。カジュアルな割烹料理と本格的な江戸前寿司がテーマだった。そう、大将が寿司職人としてカムバックしたのだ。

私はすぐに予約をして、昔一緒に店へ通った友人とともに店を訪ねた。女将さんが作る料理もとても美味しく、酒もすすんだ。大将は私たちの来店を喜び、腕を振るってくれた。私はその日、店へ撮影機材を持ち込んで注文したメニューを撮影した。開店祝いに写真をプレゼントしようと考えたのだ。↓これらが実際に撮影した写真。

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人は恋をすると、ワガママになる。丸の内の店はたしかに美味しかったが、どうしても最初の店と比較してしまう。比べても仕方がないのはわかっているのに。やはり、目の前で握る大将の所作や寿司ネタの話を含めて大将の寿司なのである。大切なお客さんが名古屋へ来たときには利用させてもらったが、足繁く通うところまではいかなかった。

昨年の11月末だったと思う。お世話になった人が定年退職するということで送別会に私も呼ばれた。その会場に丸の内の店を利用させてもらった。そこでまた衝撃の告白があった。

年内に店を閉めて、東区泉に移転する。大将は引退───。

まさかの二度目の引退宣言にまたまたショックを受けた。大将は飲食の世界から身を引き、もともとやっていたFXの投資で食べていくという。これで本当にお別れだ。本当にもう大将の寿司は食べることができない。恋人を失ったかのごとく私の心はぽっかりと穴が空いた。

つづく。