永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

承認欲求。

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ライター仲間のMちゃんと飲んだ。私がブログをはじめてから、会うたびに「スゴイ、スゴイ」とお褒めの言葉をいただく。このブログは、文章のヘタさを克服するためにはじめたもので、スゴくも何ともないのだが(笑)。でも、同業者に評価されるのは悪い気はしない。

「ブログ、Mちゃんもはじめなよぉ」なんて話をしていたら、先月19日、ついに彼女はブログをはじめた。

naemusa.hatenablog.com

あ、Mちゃんの名前がバレてしまった(笑)。まぁ、ここにリンクを貼ることの許可もいただいているし。まっ、いいか。読者の皆様、ブログ『ミユキさんはまだ○○を知らない』もよろしくお願いいたします。

さて、Mちゃん、いや、ミユキちゃんのブログの記事を読んで、さすが!と思った。まず、文章が、表現が美しい。そして、語彙の豊富さ。読んでいるうちにみゆきワールドに引き込まれて、感情移入してしまう。

私なんて食レポの記事ばっかり書いているから、文章がどうしても説明っぽくなってしまう。心の微妙な動きを文章で表現したいと思っても、私はその力を持ち合わせていないのだ。だからこそ、このブログを続ける意味があると思っている。

昨夜も本当にいろんな話をした。ほとんどが仕事とか、今後ライターとしてどう生きていくかという話。同い年ということもあって、同じようなことを考えているので話していて、とても刺激になる。

「ナガヤさんは、まだまだ野心みたいなもの、あるでしょ?」とミユキちゃん。

ほほう。そう見えるのか。そりゃ「メディアに爪痕を残したい」なんて書かれた年賀状をもらったら、そう思われても仕方があるまい。もちろん、今もその気持ちに変わりはない。ただ、考え方は大きく変わった。

「メディアに爪痕を残した!」という評価は、他人が下すことだと思っていた。でも、それは違うのではないかと思いはじめたのだ。

評価を下すのは、ほかでもない私自身だ。とは言っても、表面的な私ではない。常に私自身に「こうあるべきだ!」と訴えかける、内なる私だ。わかるかなぁ。

自分のことをいくら他人が高く評価してくださっても、いや、それはそれでありがたいことであるが、自分が納得しなければまったくの無意味。その逆もある。他人からどう思われようが、自分が納得していればそれでよいのだ。

FacebookやインスタグラムなどのSNSは、「承認欲求」のツールともいわれる。要するに「私という存在を認めてほしい」というものだ。両方ともやっている私にも承認欲求があるのは間違いない。

しかし、「私という存在」を認めるのは、他人ではなく、やはり自分自身ではないか。自分で自分のことを認めることができなければ、いくらFacebookやインスタに投稿しても心は満たされないだろう。

ときには、自分を赦してやればいい。自分を褒めてやればいい。

……かく言う私も、「こうあるべきだ!」と訴えかける、内なる私に負けまくっている。おそらく、勝率は3割にも満たないだろう。完敗だ。

でも、いつか、「お前、よくやったなぁ」と自分を褒めてやれる日が来ると信じている。

ミユキちゃん、昨夜はずっとこんなことを考えてたんだよ。その機会を与えてくれてありがとう。また、語り合おう。