永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

牙を抜かれた猛獣にはなりたくない。

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雨上がり決死隊の宮迫博之さんとロンドンブーツ1号2号の田村亮さんの記者会見を受けて、たけしさんが吉本興業に苦言を呈した。さらに、

「本当のことを言うと、お笑い芸人に社会性とか安定とかを望む社会がちょっと変だよ。おいらはそれが嫌で芸人をやっているんだから。品行方正さを漫才芸人に求めちゃダメ。品行方正を求められたタレントがいいのかと思ったら、『最近の芸人はつまらない、危険度がない』って言う。それじゃあ、どっちなんだよって」と、嘆いた。

このたけしさんの発言は、今はじまったことではなく、ずっと以前から耳にしていた。

また、2000年に惜しまれながら引退した上岡龍太郎さんも

「芸人っていうのは、なんやいうたら落ちこぼれ人間です。社会のはみ出し者、アウトロー、いわば暴力団と一緒です。ですから我々はヤクザと一緒。(中略)できるだけラクしたい、みんなと一緒のことはしたくない、それでいてチヤホヤしてほしい、お金はようけもらいたい。ほとんどこういう考え方の人間が芸人かヤクザになるんですね。ただ、向こうは腕が達者で、こっちは口が達者だったっていうだけの話。上に生えている木が違うから、みんな違うって思てるけど、根は同じですから」と、30年前に語っていた。

実際、ひと昔の大阪では、言うことを聞かない子供に、親が「吉本へ連れて行くぞ」と脅したという話も聞いたことがある。つまり、芸人はサーカスや見世物小屋と同列なのだ。それを芸を見る側もちゃんと理解していたのである。私は幼い頃、よく母から「テレビばかり見ているとバカになる」と、よく言われていた。それは当時のスタンダードな考え方だったのである。

前置きがめちゃくちゃ長くなった。では、私のようなカメラマンやライターはどうか?実際、業界の中には上岡龍太郎さんがおっしゃる、落ちこぼれ人間や社会のはみ出し者が実に多い。中には有名大学を卒業した、スーパーエリートもいるにはいる。優秀なんだから、大企業に就職できただろうと思うが。まぁ、そもそもカネを稼ぐことを目的にしていたら、こんな仕事はしていない。優秀ではあっても、やはり、どこか変わっているのだ。

週刊現代の元編集長、加藤晴之さんは著書『働く、編集者─これでお代をいただきます。』の中で、編集者と書き手(作家、ライター)との関係を非常にわかりやすく述べている。いわく、「猛獣(書き手)と猛獣使い」。

つまり、編集者は猛獣使いのように、巧みにエサとムチを使い分けて、書き手を世の中に通用させるのが仕事なのである。ポイントは書き手を去勢させるのではないという点だ。去勢しまっては猛獣ではなく、愛玩動物になってしまう。結果、つまらないものしか書けなくなる。

最近、縁を切った受注先がある。雑誌やネットメディアではなく、広告の仕事だったこともあり、よいものを作るということよりもクライアントに対するオノレの面子が優先された。その時点で広告としてもアウトであるが、挙げ句の果てには私の立ち位置、いわば、「ライターの一分」にまで口を挟んできたので、手を引くことに決めたのだ。

これまで私が原稿を送っても、何の連絡もなかったことも不満だった。要するに、そのコンテンツが埋まればよいのだ。私がどんな文章を書くのかということよりも、私が「名古屋めし」の専門家としてテレビに出たり、講演をしたりすることや、ブログのアクセス数やランキングの順位の方に興味があるのだ。

クライアントには、私が忙しくて仕事を続けるのが困難であるとデタラメな説明をしたらしい。まぁ、それは仕方がない。オノレの面子が第一なんだから。さらに、同業者にも私に迷惑をかけられて損害を被ったことを吹聴しているということも耳にした。

これに関しても抗議する気はまったくない。それどころか、もっと同業者へガンガンに吹聴してほしい。吹聴すればするほどオノレの馬鹿さ加減が露呈するのだから。ひいてはメディア関係者は誰も見向きしなくなる。まぁ、せいぜい頑張ってくれ。