永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

味覚の奥にある料理人の心。

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「ミシュランの星付き」とか、「食べログの評価が」、「高級食材の○○を使った」、「予約が取れない」など、昔と違って今は飲食店の情報をたやすく入手することができる。その情報を基に、先入観を持って食べるから美味しく感じる部分もあると思う。つまり、料理だけでなく、情報をも食っているのである。って、私もフードライターとしてさんざん煽りまくっている立場なのだが。

私はこれまで記事の中で「旨い!」、「美味しい!」という気持ちをストレートに書いてきた。むしろ、それをヨシとしてきた。しかし、「旨い!」、「美味しい!」って何だろう。あらためて考えてみた。

もちろん、食材やだし、調味料などが味を左右するのは間違いない。糖度や塩分濃度、イノシン酸やグルタミン酸の含有量を厳密に計算した上で作っても、そりゃ旨いだろう。しかし、そこに心を揺さぶられるような感動はあるのかというと、話が変わってくる。

「旨い!」、「美味しい!」と感じる味覚の奥にある作り手の心が伝わり、共鳴し合うから、そこに感動が生まれるのである。作り手の心とは、客を喜ばせたいという気持ちに尽きる。振り返ってみると、私はそんな料理を沢山食べてきた。気持ちが落ち込んだときでも心が豊かになったこともある。料理にはそんな力もあるのだと驚いたことを今も覚えている。

今年1月に亡くなった渥美仁規シェフは、かつ丼が旨い麺類食堂や老夫婦が営むお好み焼き店にも足を運んでは「ここが旨いんだ!」とFacebookに投稿していた。自身の店とのあまりにも大きなギャップに驚きながら、私はそれを見ていた。

これはあくまでも想像だが、渥美シェフ、いや、仁さんは「旨い!」、「美味しい!」と感じる味覚の奥にある作り手の心に迫りたかったのではないだろうか。そこに高級フレンチだろうが、場末の居酒屋だろうが店のジャンルは関係ないのだ。そう考えると、料理人というのは何とすばらしい仕事なんだろう。

私も写真や文章で人々の心を揺さぶることができたら……。いや、まだまだだな。カメラマンやライターとしてよりも、まずは人として、男としてもっと、もっと、もっと成長しなければ。嬉しいことや楽しいことだけでなく、悲哀や苦悩までも成長の糧にしたい。そのためには逃げてはダメだ。真っ正面から向かい合わねばならないのだ。

※写真は、名古屋市緑区『花ごころ 緑苑』の「和楽膳」(昼2000円・夜2200円)。高級食材を使っているわけではないが、一品一品から作り手の心が伝わる料理だった。