永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

渾身の一枚を撮るために。

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現場での仕事が終わり、仕事場で撮影した写真を確認する。そして、ライティングやアングルを再考する。はたしてこれでよかったのか。もっと他にできることはなかったのかを考える。

また、何日か後に撮影の仕事があるとき、照明の種類や位置、角度などを事細かに頭の中でシミュレーションする。場合によっては、仕事場で照明機材を組み、実際に撮影してみることもある。

結果的にいつも写真のことを考えている。それがたまらなく楽しい。ただ、それは、あくまでもテクニックの部分であり、プロとして報酬をいただく以上はできて当たり前の話。

そんなイメージトレーニングよりもよく考えているのは、写真家として残すべき作品のこと。これはテクニック以上に、オノレの考えだったり、思いだったり、喜びだったり、悲しみだったり、生きざまだったり、メンタル的な部分も含めて、私という存在そのものが凝縮された形で現れてくる。

写真がつまらないのは、つまらない人生を送っているからにほかならない。つまらない人生というのは、オノレの頭で考えるべきことやオノレ自身が向き合わねばならないことを放棄してしまうことだ。せっかく人として成長するチャンスをオノレ自身が潰していることになる。

今日一日、どれだけ心が揺さぶられたか。喜びや楽しさ、感動ばかりの一日であればそれに越したことはない。しかし、生きていれば悲しいことだって、苦しいことだってある。そんなときは自分の気持ちを押し殺さずに思いっきり泣けばよい。思いっきり叫べばよい。

ってことに、最近気がついた。以前にも書いたが、人は年をとるにつれて、常に冷静沈着であることが美徳とされ、感情を露わにすることを恥とされる。私もそう思っていた。でも、もう、そんな「枠」にはまった生き方はやめる。

仮に悩みや問題を抱えていたとして、思いっきり笑ったところで、思いっきり泣いたところで、解決するのかと聞かれれば、それはわからない。でも、運命は変わる。だから、写真も変わる。そう信じている。