永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

独立記念日。

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昨日、9月25日は、24年前に編集プロダクションを辞めてフリーとなった私の「独立記念日」。

当時は30歳までにフリーになろうと考えていた。が、編集プロでの仕事は激務で、その日に帰ることができなかった。

すでに結婚していたものの、女房とまともに話ができたのは、週に1回。会社が休みの日曜日だけだった。お金よりも時間がほしかった。

もっと時間があれば、女房とゆっくり過ごすことができる。

もっと時間があれば、仕事のクオリティを上げることができる。

もっと時間があれば、面白い企画を考えることができる。

もっと時間があれば、楽しく仕事に取り組むことができる。

そんなことばかり考えていた。

「この仕事は、フリーになってナンボのもんでしょう」と、社長に告げて編集プロダクションを辞めた。

その翌日、つまり、フリーとなった初日に感じた何とも言えない解放感は、今でも忘れられない。きっと、私はフリーでなければ生きられなかったのだ。

編プロ時代にお世話になった編集部の皆様にはDMを送った。

そこには大きな文字で「フリー宣言。」とタイトルを入れた。そして以下のような文章を載せたと思う。

1995年9月25日をもちまして、私、永谷正樹は有限会社○○○(編プロ)を退職し、フリーカメラマン兼ライターとして第一歩を踏み出しました。

今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

もちろん、そのDMには連絡先をのせた。連絡先には□で囲んであり、その部分を切り取ると名刺になるようにした。私は昔からこんなことが好きだったのだ。

あ、思い出した!そういえば、フリーになったとき、当時仲良しだったSMの女王様にお祝いのお花をいただいたっけ(笑)。

さて、お金よりも時間がほしいというのは、今も変わらない。ガンガンに稼ぎまくることに今ひとつ価値を見出せないから、いつまで経っても貧乏なのだ。っていうか、稼ぐことが目的ならば、こんな仕事を選んでいない(笑)。

では、時間を手に入れることができたのかといえば、実はそうでもない。どういうワケか、やたらと忙しい。〆切に追い立てられて、ヒィヒィ言いながら仕事をしている。これはいったい、どういうことなのかと逆にこちらが聞きたいくらいである。

でも、心の中はフリーになってからずっと自由。編集プロダクションを辞めてフリーになった本当の意味は、そこにあったのかもしれない。

何はともあれ、フリー生活も25年目に突入。いつもお世話になっている皆様、今後ともよろしくお願いいたします。

 

※写真は先日仕事で訪れた広島で撮影。取材後にのんびりと撮影を楽しむことができるのもフリーになったおかげである。