永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

熱情。

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私が文章を書くときにいちばん心がけているのが、読みやすさ。ボキャブラリーが少ない上に文学的な表現もできないので、逆にそれしかないのである。

本当に、ライターとしてのセンスや才能のなさはオノレがいちばんわかっているし、23歳のときに編プロで文章を書き始めたときから変わってないと思っている。上手くなるための努力も怠っているというか、そもそも、そんなに上手くなりたいとも思ってはいない。

まぁ、私は作家ではなく、雑文書きにすぎないんだから、読めて意味が伝わればイイのである。と、自分自身に言い訳してみる。いや、言い訳するしかない。ヘタで悪かったな。このヤロー!いかん、逆ギレしてしまった。

そんな中、最近、いろんな人から私の書いた文章についてご意見をいただく。あっ、クレームではない。どちらかというと、有り難いご意見。

「ナガヤさんの文章は“熱”や“温かさ”を感じる」とか、「読んだ後にとてもあったかい気持ちになる」、「ナガヤさんが書いた文章だ!って、すぐわかる」というもの。

何度も言うが、私は取材相手から聞いた話を読みやすく書いているだけである。自分ならではの言い回しというか、文章のタッチみたいなものは、ライターの仕事をしてから一度も意識したことがない。でも、そう感じてくださっている方がいる。小っ恥ずかしいけど、嬉しい。

 ただ、ひとつだけ言わせてほしい。グルメ取材の場合、私は店のコンセプトや特徴よりも、メニューの味よりも、調理法よりも、その他諸々のこだわりよりも、何よりも私が興味を引くのは、「人」なのである。

その人がこれまでどんな人生を歩み、どんなことを考えているのか。店や料理はそのほんの一端であり、いくら逆立ちしても、その人が持つ魅力には敵わないのだ。私が四半世紀以上もこの仕事を続けてこられたのも、周りに取材したいと思う人が沢山いるからである。

“熱”や“温かさ”、読後の“あったかい気持ち”を感じるというのは、私の文章力からではない。主人公である取材相手がもともと纏っているものなのである。それを取材という行為で引き出し、紡いでいくのが私の役割であり、仕事なのだ。

だから、私は自らを「取材屋」と名乗っている。小っ恥ずかしいけど、嬉しかったのは、文章を認めていただいたからではなく、取材力を評価していただいたと思ったからだ。美味しい料理の出発点がこだわり食材の仕入れにあるように、人の心を打つ記事の出発点は情報を仕入れる取材にあると私は思っている。