永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

後輩のM.K君に捧ぐ。

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本日のブログを後輩のM.K君に捧げます。

私がカメラを向け、ペンを走らせる人、つまり、取材で出会う人々は皆、一様にして泥臭い人が多い。すごくオシャレでスマートな店で美しく着飾ったセレブたちをもてなすような華やかな世界にいても、やはり泥臭い。

それはなぜだろうと考えたとき……。えっ!?「類は友を呼ぶって」?うっさいわ(笑)!オレだってなぁ、何も泥臭く生きようと思っているわけではないんだ。結果的に泥臭くなってしまうのだ。

皆、生きるのに真剣なのだ。本気なのだ。決して他人に依存したり、頼ったりはしない。いくら調子が良くても、常に崖っぷち。きっと、そういう心境でいるように自分を追い込んでいるのだろう。

真剣に、そして、本気で生きるようとすると、なりふりなんて構っていられない。周りが自分のことをどう思おうが関係ない。そもそも、誰も助けてはくれない。学歴や肩書きなんてもっと関係ない。

オノレ自身に自問自答を繰り返し、それこそ、泥水を啜る覚悟で物事を断行する。自分自身の生きる力、生きようとする力を信じるしかないのだ。

そこに決して悲壮感はない。むしろ、それをエネルギーに替えているようにも見える。きっと、そんな姿が人々の琴線に触れるのである。そして、1人、2人と運命をともにする協力者が集まってくる。

そう考えると、崖っぷちどころか、どん底の状態こそがチャンスなのではあるまいか。なりふり構わず、死に物狂いで這い上がった時、環境はもちろん、運命さえも変えることができるのだ。

生き方を解く公式はおろか、ヒントさえも、ましてや模範解答なんてものも存在しない。オノレ自身が心の底から納得するか否かでしかない。

「お前は今のままでよいのか!?」と、自問自答を繰り返すしかない。皆、いや、少なくともオレは今のままでは納得しないから、足掻く。カッコ悪くても、足掻く。年甲斐もなく、足掻く。

ひょっとしたら、足掻いたまま人生の幕を閉じるかもしれない。でも、人の顔色ばかりうかがったり、SNSで頑張っているポーズをしたりして、自分を殺しながら生きるよりは100,000,000倍マシだと思っている。