永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

コストカットの先にあるもの。

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私の家は決して裕福ではなかったが、母はお米だけは妥協しなかった。魚沼産とまではいかないまでも、いつも新潟県産のお米を買ってきた。幼い頃から毎日美味しいお米を食べていると、逆に不味いお米の味がよくわかるようになった。

例えば、カレーや丼ものなど、おかずとご飯が一つになっているものは顕著にあらわれた。フードライターとして、和食店を食べ歩いたとき、「もっと、ご飯が美味しければ……」と思ったことは1度や2度ではない。お米の存在を軽視して、コスト優先で考えている店は意外と多いのである。本当に残念なことだ。

ごはんソムリエの資格を持つ友人から、一般人もお米を選ぶ基準がやはりコストであることを聞いた。産地やブランドではなく、たまたま特売品だったものを買うということである。

一方、米農家さんからも興味深い話を聞いたことがある。それは、大手外食チェーンが国産米に外国産米をミックスしていて、その比率を少ーしずつ変えているらしいということ。当然、外国産米の方がコストが安い。しかし、急に切り替えてしまうと気付かれてしまう可能性もある。少ーしずつ変えていくことで、その味に慣れさせてしまうのだ。お米にこだわっていない人はまったく気付かないと思う。

お米に限らず、コストを優先する考え方には私は賛成できない。誰も得をしないからだ。そもそも、コストカットするところを間違えているのではないだろうか? 飲食店、とくに和食を扱う店でコストカットでお米を安いものに替えるなんてことは私に言わせりゃ狂気の沙汰。自分で自分の首を絞めているようなものだ。

それと同様に、人件費をコストとして捉え、企業が非正規雇用を増やしてしまったことに、この国の悲劇があるように思えてならない。以前、大学で講師をしていたとき、

「夢は内定をもらうことです」と言った学生がいた。将来のある若者にそんなことを言わせてしまう世の中にしたのは誰か?これは右や左といった思想はまったく関係ない。いったい、誰なんだ!?私を含めたすべての大人たちであることは間違いない。

「仕事なんて選ばなければいくらでもある!」、「今どきの若い者は根性が足らん!」という人の中には、バブルを経験し、退職金をガッポリもらい、年金も満額受給している大人もいる。所詮は他人事なのだ。あまりの無責任さに腹が立つよりも悲しくなってくる。

女房からこんな話も聞いた。すでに辞めてしまったが、次男がある店でレジ打ちのアルバイトを始めたばかりの頃の話だ。まだ仕事に慣れず、レジ前に行列を作ってしまった次男。待された客(次男によると、50~60代の女性)が支払いを終えたときに「今までで最低のレジ!」と言い放って去って行ったという。

「私なら、自分の子どもと同じくらいの子がミスをしたとしても、応援したくなるけどなぁ」と、 女房。

そりゃたしかに待たせてしまった次男も悪い。しかし、次男のバイト先は超高級店ではなく激安店。ゆえに大勢の客が訪れるため、混雑時には行列ができるのも仕方がないし、客側もそのリスクを負うべきではないのか。いや、それよりも暴言を吐かれた次男の気持ちを大の大人が思いやることができないのか。

今、目の前で怒っていることに対して心地良いか否かで判断しているだけなのだ。人件費をカットして目の前の利益を出しても、それはかりそめであり、未来には何も繋がらないのと同じだ。「美しい国」が空々しく聞こえてならない。