写真と文章の両方を生業としている私は、
「なんちゃってカメラマン」であり、
「なんちゃってライター」であると思っている。
それは、
カメラマンだけを、ライターだけを
仕事にしている人たちには絶対に敵わないから。
でも、その不名誉な「なんちゃって」から
一日も早く脱したいと思っている。
カメラマンだけを、ライターだけを
仕事にしている人たちに
できるだけ近づけるように、
一枚でも多く撮り、
一文字でも多く書くしかない。
それでも、1日が24時間である限り、
私がどう逆立ちしたって敵わないと思っている。
技術の差は埋められないかもしれないけど、
気持ちの中では
「なんちゃって」とは1ミリも思っていない。
カメラマンとして、
ライターとして、
どう生きるべきか。
そんなことばかり考えている。
50歳となった今、
もう後戻りできないし、
生き方も変えられない。
身体が動かなくなるまで
シャッターを押す。
PCのキーボードを叩く。
ほかの選択肢はない。
だから、覚悟を決めるしかない。
気持ちまで「なんちゃって」と、
プロとのボーダーは、
そこにあるのだと思うんだよなぁ。