永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

見る。

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写真とは、写し手の見たものを

「切り取る」作業である。

 

わかりやすく言えば、

自分が見ているものに

「窓枠」をはめるような行為だ。

 

どの部分に「窓枠」をはめるか?

そんなことを考えているときは、

自分でも驚くほど冷静になっている。

 

いや、冷酷と言ってもよいかもしれない。

いわば血が通っていない機械。

まるでカメラのようにものを見て、

シャッターを切る。

 

だからこそ、

目を背けたくなるような

悲惨な事件や事故の現場でも

冷静にシャッターを押せるのだろう。

 

事件や事故でなくても、

例えば、美しい景色を見る。

カメラを持っていなくても、

アングルや構図を考えて、

頭の中でシャッターを切る。

 

人と話しているときも同じ。

話に耳を傾けつつも、

頭の中でつい、

撮影のシミュレーションをしてしまう。

 

専門学校時代、恩師が授業で

「『見る』ことにかけては、

ヤクザにも負けない」

と言っていた。

当時はさっぱり意味がわからなかったが、

今、少しだけわかるような気がする。

 

しかし、「見る」とは言っても、

前に書いたとおり、

「窓枠」をはめて「見る」から

目の前で現実に起こっていることを

どこかリアルに感じられない自分がいる。

 

カメラマンのサガと言えばそうであるが、

人としては大きな欠陥かもしれない。