何かを深く考えたり、決断したりするとき、私の中で基準としているものがある。意外と思われるかもしれないが、その考えや決断は、男としてどうなのかということ。
男だから泣くな、とか、男だからこうしろと親に言われて育ったわけでもない。若い頃はそうでもなかった。年をとるにつれて、そこにこだわるようになってしまった。
きっと、仕事や家族、友人など自分のアイデンティティーを形成しているものをどんどん削ぎ落として、削ぎ落としまくって、最後に残るのが、男であることを本能的に察知しているのだろうと思う。
あ、誤解しないでほしいのは、自分がそうだからといって、女房や子供、ましてや他人様に男らしさや女らしさを求めてはいないし、男尊女卑的な考えを持っているわけでもない。自分で言うのもアレだが、こう見えても私は人に対しては寛容なのである。自分に対しては不寛容極まりないけどね。
では、私は男としてどうなのかと自問自答してみる。…………女々しいなぁ。そもそも、ブログに自分の考えや思いをグダグダと書いていること自体が女々しい。そう思うと、書くのを止めたくなってくる。
悩みやコンプレックスなどオノレの恥部や自身を取り巻くヤヤコシイ状況などを語らず、黙っているのが、私が思う男の理想像である。今の自分からは…………ほど遠いというか、まったく逆だな。もう、ほとんど諦めているが。
その反面、今の自分に納得がいかないのに、それに対して為す術もないのに、「オレはこんなところで終わりたくねぇ!」と、足掻き続けるのもまた男だと言い聞かせている自分がいる。私はこっちのタイプなのだ。
「男としてどうなのか」というよりは、「男ってぇヤツは」だな。50歳になってもツマラナイことで落ち込むし、どうでもいいことに引っかかる。本当に自分でも面倒くさい男だと思う。カッコ悪っ。そりゃ、モテんわな。