永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

自由な時間。5

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その昔、愛知県下の中学校、高校では管理教育が行われていた。私なんかは、そのど真ん中の世代。校則でがんじがらめ。地元の進学校、N春高校に入る者が「勝ち組」とする風潮があった。

当時の担任の先生は、それを公然と批判した。

「ウチの学校からN春高校に行く生徒の数はあらかじめ決まってるんだ。ウチの学校もその数を増やしたがっている。そんなのおかしいだろ!?」と内部事情を暴露した。

また、当時の成績のつけ方は相対評価。つまり、学年で成績が5と評価される生徒の人数があらかじめ決まっているというもの。先生は私たちに通知表を手渡すとき、相対評価の仕組みを説明した上で、

「今回の成績に納得しない者は、なぜこの評価になったのか直接教科担任に聞いてみろ」と言った。

中学3年の2学期、私は死に物狂いで勉強した。当時の受験科目は国語と英語と数学の三教科。数学は最初から諦めていたので、国語と英語で点を取るしかない。とくに国語は少しだけ自信があった。にもかかわらず、2学期の成績はキープどころか下がってしまったのだ。担任の先生の言った通り、教科担任にその理由を尋ねた。

国語の教科担任は、タレントの柴田理恵に似た、中年の女性教師だった。

「先生、なぜ僕は1学期から成績が下がったんですか?テストの点数は上がったのに納得できません」と、言うと、彼女はしどろもどろになった。そして、こう言った。

「あと少しで合格するという子に、ナガヤ君の成績をあげたの」と。

冗談じゃない。じゃ、オレはどうなるんだ。当然のことながら私は猛抗議したが、マトを得ないようなことしか言わなかった。それを担任の先生に報告すると、

「学校が大丈夫と太鼓判を押したら、試験で白紙答案を提出しない限りは合格するんだ。受験勉強なんてセレモニーなんだよ。ナガヤは成績が少し下がったくらいでも大丈夫だと判断して、その分を合格ギリギリの人間にまわしたんだよ」と教えてくれた。

中学生ながら、その国語教師はバカじゃないかと思った。そこまでしてN春高校に進む人数を増やしたいのかと心底呆れた。

私が自由を求めてB高校へ進学したのは、中学3年のときの担任の先生から影響を受けたのは間違いない。実際、高校時代は自由を思う存分堪能した。26歳のときには、さらなる自由を求めて会社を辞めた。

自由とは、好き勝手に生きることだけではない。心が解放された状態にあることを指すと思っている。とはいえ、フリーという自由この上ない立場でありながら、未だ自由を感じていない。家族を養っていかねばならないから?いや、そんなことは考えたこともない。カメラマン、ライターとして、いや、私自身、自分の生き方そのものに歯痒さを感じているからだろう。

「お前はこうあるべきだ!」という内なる声に素直に従うことこそが、自由への近道だと思っている。