「最後にご主人の写真も2、3枚撮らせてください」と、私は取材終わりにいつもお店のご主人のポートレートを撮らせていただいている。
「えっ!?じゃ、新しい割烹着に着替えるわ」と、慌てて取りに行くご主人を私は制止する。割烹着についた一つ一つの染みもまた私にとってはステキに見えるので、そのままでよいのだ。
ごくありふれた日常の、ありのままの姿。それがステキでカッコイイ人に私はレンズを向けたい。誰だって、キレイな服を着て、髪をセットして、メイクまですれば、そこそこ「絵」になる。しかし、それは作られた、かりそめの美しさであって、その人自身の美しさではない。
もちろん、モデルやタレント、役者となれば話は別だ。彼らは自身の美しさを表現するのが仕事。そのためにストイックな日々を送っているのだと思う。やはり、一般人では太刀打ちできないだろう。
でも、私は市井の人にレンズを向けたい。市井の人ほどステキでカッコイイ人はいないとさえ思っている。ときとして、ポーズさえ不要。立っているだけでよい。そのままでよい。その人からにじみ出る生命力というか、美しさ、存在感といったものをカメラに収めたい。
そんな人々と接していると、自分もまた日常を美しく生きたいと強く願うようになった。そのためには、一日をのんべんだらりと暮らすのではなく、この一日はもう二度と戻ってこないとオノレ自身に言い聞かせて懸命に生きるのである。
命を使うのである。幸いにも命はどれだけ使っても減ることはない。むしろ、使えば使うほど力が増す。懸命に生きている様が、生命力がにじみ出ることで美しさとなる。
そう信じて、今日も私は現場でレンズを向け、仕事場でPCのキーボードを叩く。
※写真は愛知県豊橋市『中華定食 弥栄』の店主、佐藤要さん。この写真、気に入っているものの、紹介した『Yahoo!ライフマガジン』で使えなかったので、このブログに掲載した。佐藤さん、ありがとうございました!↓記事はコチラ