永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

51歳。

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51歳になった。

昨日までの自分と今日からの自分は見た目には何ら変化はない。しかし、心境は変わる。それが誕生日のよいところだ。

50歳になるときは、無駄な抵抗だと思いながらも認めたくなかった。カメラマン、ライターとして、このまま何もせず、老いていくのが怖かった。

後悔しない人生を送るために、もう一度、写真と文章に向き合おうと心に決めた。これまで以上に一回一回の仕事を真剣に取り組もうと、取材も撮影も原稿書きも丁寧さを心がけた。ブログを毎日書き続けているのもその一環である。

正直、まだまだ納得できるレベルには達していない。しかし、ルーティーンではなく、もっと上手くなりたい、もっと人が喜ぶ写真や文章を提供したいと向上心を持って仕事をしているうちに心境は大きく変わっていった。

とにかく、仕事が楽しすぎるのである。いや、もともと、楽しいとは思っていたのだが、何というか、取材や撮影、執筆をしている一瞬一瞬がとても尊く思えて、心の底から仕事の楽しさを実感することができたのだ。

この楽しさの本質は何なのかと考えたとき、人とコミュニケーションをとることだと思った。私の仕事道具であるカメラは、ただ単に何かを記録するだけではなく、コミュニケーションをとるためのツールであると思っている。

人との付き合いが苦手だったり、嫌いだったりする人はカメラを人に向けることはないだろう。でも、私は向ける。それぞれの現場で輝いている市井の人に。本人は気づいていないかもしれないが、どんな有名な役者やタレントよりもカッコイイのだ。それはもう、シャッターを押さずにはいられないほど。

この1年、私自身も出会った多くの人々から沢山のことを学んだ。現場で輝いている人々は、やはり誰よりも努力しているし、誰よりもその仕事のことを誇りに思っているし、愛している。

私自身が努力しているか否かは他人が判断するものだと思うので何も言えないが、仕事のことは誇りに思っているし、愛している。天職だと思っている。

私もこの気持ちをずっと持ち続けることができたら、私がレンズを向ける人たちに追いつくかもしれない。そんな希望も持てるようになった。コロナウイルスの影響を心配して、わざわざ連絡をくださったクライアント様もいた。しかも、「世の中が明るくなるようなことを一緒にやりましょう!」と、ありがたすぎるお言葉までいただいた。

こんな私のことを必要としてくれている人がいるのだ。こんなに心強いことはない。だから、新型コロナの影響で仕事の先行きがまったく見えなくても不安をまったく感じていない。

この1年、人に助けられることも多々あった。最近では、つい一昨日のこと。女房がガンかもしれないと思い、恐怖と不安で胸が張り裂けそうだったとき、友人にLINEでメッセージを送った。すぐに電話がかかってきて、励ましてくれた。

「あなたは一人じゃない。私は何もできないけど、そばにいるから」というひと言に救われた。考えてみれば、もう大学生になったとはいえ、子供たちも不安だったに違いない。私はその気持ちを汲みとる余裕すらなかった。父として私が彼らの支えにならなきゃいけないのに。それも友人の励ましで冷静になることができたから気がついた。

人は他人のことはわかっていても、自分のことはわかっていない。別の友人からも沢山の励ましがあった。49歳までの自分の生き様を振り返り、打ちのめされていた私だったが、少しだけ自信を持つことができた。本当に友人の存在というのはありがたい。こんなすばらしい友人がいるのは、幸せだということだろう。

今、新型コロナウイルスが猛威を振るっている。人々は外出を控えて家に引き籠もり、そのストレスから、SNSで誰かにイライラをぶつけている。それを目の当たりにすると、ウイルスは人を死に至らしめるだけではなく、人と人との繋がりを断ち、コミュニティを破壊していると実感する。

だからこそ、私は人にやさしくなろうと思った。私を支えてくださる大切な友人たちのような、やさしい人に。それが、今日51歳となった私の抱負である。

 

※写真は、これまた大切な方からいただいた貴重なシャンパン。普段は家呑みしない私だが、しっかりと冷やして、今夜は息子と呑もうと思っている。肴は何にしようかなぁ。