永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

心が動かされるから、伝わる。

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ブログを毎日更新しようと決めたのが、2019年1月15日。と、いうことは、早いもので1年半が過ぎた。ブログを書こうと思ったきっかけは、50歳を目前にして何かをやり遂げたという実感もないまま年を取っていくのが怖くなったからだ。

その恐怖はまだ、ある。だからこうして毎日書いているのである。恐怖から逃れるためではない。弱い自分と向かい合って、真っ向勝負をするために自分の気持ちを書くことで整理しているのだ。

ブログの編集画面を開いたとき、まず、その日の出来事を振り返る。と、同時に今日一日どんなことを考えたのかを思い巡らせる。出来事を羅列しただけではただの日記になってしまう。肝心なのは、やはり、何がそのときの自分の心を動かし、自分の心に響いたのか、である。

しかし、今こうしてブログを書こうと、PCを前にするも何も浮かんでこない。大阪へ一泊二日で出張して、仕事をしまくったのに。忙しかったということもある。何せ、昨日撮影した写真は〆切がギリギリで、撮影後にネットカフェへ飛び込んで、すぐに現像して編集部に送らねばならなかったのだ。

いや、そんなことは言い訳にならないな。車で大阪まで往復6時間以上もあったのだから。何かを考えていたに違いないのだが、思い出せない。と、いうことは、心を動かされることは何もなかったのだろう。

私の仕事は、取材相手の人生を垣間見ることである。その人の人生をバーチャル体験する、とでも言うべきか。その人の目線で、苦しみや悲しみ、怒り、そして、感動を味わう。それは取材の醍醐味でもある。

原稿用紙のマス目を埋めるための原稿なんて書きたくない。ページのスペースを埋めるための写真なんて撮りたくない。私は写真と文章という表現でもって、何かを「伝える」ことを生業としている。

ゆえに、取材相手へのリスペクトがなければ、原稿を書くことができない。写真だって同じだ。その人に少しでも思い入れがなければ撮れない。テクニックでもって書けたとしても、また、撮れたとしても、そこからは何も伝わってこないだろう。

にもかかわらず、今、何も心に浮かばないというのは、悪い意味で仕事に「慣れ」が出ているということだ。今一度、私自身の仕事に対する姿勢を問いただしてみる必要がある。