永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

唯一無二。

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昨日、取材でお目にかかったのは、29歳の若きスタッフ。聞いてみると、元々飲食チェーンで働いていたそうで、途中で異業種に転職したものの、再び飲食業界へ戻ってきたという。店を運営する会社の店舗開発担当として、新店舗の立ち上げやメニュー開発などの仕事にとてもやりがいを感じているようだった。

その店が専門的に扱うメニューは、すでに巷でもよく見かける。が、後発組という強みを生かして同業店と差別化を図っている。最寄り駅からのアクセスもよいし、きっと流行るだろうと思った。実際、コロナ禍の中でオープンしたにもかかわらず、客足は上々だという。すばらしいことだ。

飲食店のメニューは、同業店の人気メニューを研究したり、市場を調査したり、マーケティングに基づいて開発されるのである。それを否定するつもりは毛頭ないし、リスクを回避するにはそれがいちばんだと思う。が、そこでふと、考えたことがある。

これから突拍子もないことを書くが、引かないでついてきてくれ(笑)。そんなマーケティングに基づくメニュー開発を、人の生き方に当てはめてみる。

「エスカレーター式」というコトバがある。有名私立小・中学校へ入学すれば、高校受験や大学受験で苦労しなくてもよいというものだ。エスカレーター式でなくとも、イイ小中学校へ入れば、イイ高校に進学する可能性は高くなる。イイ高校へ入れば、イイ大学に進学する可能性は高くなる。イイ大学へ入れば、イイ企業に入社できる可能性は高くなる。

では、イイ企業に入社したその先はどうなのか。イイ給料が貰える。ステータスも高くなる。結果、イイ家に住んだり、イイ車に乗ったり、イイ服を着たりできる。合コンでモテるってのもあるな(笑)。うん、まさにバラ色の人生だ(笑)。

冗談はさておき、親が子供に「勉強しなさい!」と口うるさく言うのは、子供にお金で苦労をさせたくないという気持ちからだろう。合コンでモテるかどうかは別として、実際、イイ企業で働いている人は、経済的に豊かな生活ができる。これはいわば、マーケティングに基づく人生設計ではないのか。

もう少し掘り下げて考えてみよう。やや極論になるが、お金で苦労させたくないという気持ちは、経済的な豊かさ=幸せ、という人生観に辿り着く。たしかに、お金があれば豊かな生活ができる上、何かしらの問題が起こったとしても、お金があればだいたいは解決する。

でも、私はそんな人生観を持ち合わせていない。もちろん、お金はあるに越したことはないけど。お金に対する考えはその程度。しかも、小・中・高とまったく勉強しなかったから、とても子供に「勉強しろ!」なんて言えやしない。実際、ただの一度も言わなかったけど。

また、子供の頃に一生懸命に勉強するのは、大人になってからラクをするため、という考え方もある。これは本当か?何をもってラクなのかにもよるだろうが、頭がよいことと、人生の荒波を乗り越える力はイコールではないと思うのだが。

長々と書いてきたが、私は何が言いたいのか。マーケティングによって開発されたメニューはある程度売れる。そりゃ失敗する要素を可能な限り排除しているのだから。しかし、唯一無二の存在になれるかどうかは別。だから、飲食店の経営は難しい。

それと同様に、親や誰かがレールを敷いた人生を歩むのもある程度は幸せになれる。でも、私ゃそんな幸せは求めていない。カメラマンとして、ライターとして唯一無二の存在になりたいのだ。その他大勢の中の一人ではなく、「永谷正樹」として知名度を上げたい。

写真を見ただけで、文章を読んだだけで、「ナガヤの記事だ!」と認識されたい。それがどんどん広がっていけば、「ナガヤは安いから」とか「ナガヤはフットワークが軽いから」が理由ではなく、「ナガヤに撮ってもらいたい」とか「ナガヤに書いてもらいたい」、「ナガヤの話が聞きたい」という形でオファーが来る。それほど嬉しくてありがたいことはない。

そのためには、巷のカメラマンやライターと同じことをやっていてはダメなのだ。撮ル、書クのほか喋ル仕事もしていたり、このブログを毎日更新するのも、同業者がやっていないからやっているのである。笑いたきゃ笑え。でも、最後に笑うのはこのオレだ。