永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

私は「面白い」人間なのか。

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自分が思う自分と。他人様から見た自分は違う。そりゃ当たり前だ。しかし、それがあまりにも乖離していると認めたくなくなる。頑なに。

例えば、このブログ。

「ナガヤさんのブログ、面白いですね」と、よく言われる。褒めてくださっているのだろうが、正直、複雑な気分になる。もちろん、その日の出来事や心に浮かんだことを面白おかしく書くこともある。が、笑わせようと思って書いているわけではない。

このブログは、おっさんの苦悩や悲しみ、歓喜などを凝縮させた、生きざまの記録そのものなのである。ちょっと、いや、かなりカッコつけすぎたな(笑)。

そもそも、私は「面白い」人間なのか。女房に、なぜ私と付き合おうと思ったのか聞いたことがる。あ、結婚を決めた理由ではないですからね。結婚する前の話ですよ。念のため。何て言ったと思います?

「面白いから」

………………。いやいや、ウソでもいいから、そこは「優しいから」とか言ってくれ。もう一度言う。私は「面白い」人間なのか。

他人様から見た自分。この「他人様」が誰かによって説得力がある場合もある、少し前にテレビ愛知『サンデージャーナル』で単独ロケに挑んだときのこと。

nagoya-meshi.hateblo.jp

「オレもO竹さんみたいに、名古屋めしについてアカデミックに語りたいッス」と、担当Dに直訴したところ、

「いやいや、ナガヤさんが画面に映っているだけで面白いですから(笑)」と、言われた。しかも、笑いながら(笑)。しかも、担当Dとは旧知の仲ではない。ロケ当日が初対面である。

テレビ制作会社のディレクターは、雑誌の編集部員と同様に、人と会うのが仕事だと思うし、これまで制作した番組の中でいろんな人を見てきていると思う。それだけに彼の言葉には妙に説得力があった。認めざるを得ないじゃないかぁ(笑)。

考えてみれば、「面白い」というのは武器になる。何かを伝ようとするとき、マジメに語っても伝わらないこともあるし、何よりも私が伝えたいのは、名古屋めしに限らず、食の楽しさや喜びだったり、メイクをして写真を撮ってもらう楽しさや喜びだったり。

あ、メイク&フォトの相棒、山村えり子さんが講師を務めるメイク講座を受講された方の感想でいちばん多いのが「面白かったです」らしい(笑)。彼女もまた自分の面白さに気がついていないようだ(笑)。

バラしてしまったお詫びに、ここで告知を。私の友人、遠藤由香里さんが営む喫茶店『カフェ メールネージュ』で山村えり子さんのメイク講座が開催される。

日時/令和2年9月25日(金)

第1部:10時~12時(受講後にランチ)

第2部:13時半~15時半(ランチ後に受講)

※第1部、2部ともに各4名様限定です

※コロナ感染防止対策をした上で実施します

会場/『カフェ メールネージュ』2F
一宮市木曽川町外割田4の通り106-1
料金/特別ランチ付きで5,500円(税込)

 

山村えり子さんが提唱する「マイナス7歳若見えメイク」に興味がある方は是非!

 

 

※写真は、大阪・上本町にあるスパイスカレー『コロンビア8』の「キーマカレー」。昨日から大阪、和歌山へ2白3日間の出張なのです。

同級生の店。

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昨日は午前中に一宮市で取材を終えた後、私の地元、北名古屋市の『うなぎ 蓬春』でHP用のメニュー撮影(ブログへの掲載は店主の許可済)。

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ここは高校時代の同級生、近間君の店である。彼は『あつた蓬莱軒』で25年間修業を重ね、名古屋・栄の松坂屋南館にある松坂屋店で料理長を務めた。

そして、暖簾分けを認められて2017年12月に『うなぎ 蓬春』を開店させた。2019年には『ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019特別版』にも掲載された。

店を訪ねたのは13時半。で、撮影が終わったのは20時半。何度か休憩を入れたものの、さすがにヘトヘトになった。正直、ブログを書く体力も気力もない。申し訳ない。その代わり、撮影した写真の一部をここに掲載する。

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永谷正樹のつくり方。2

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前回のつづきです。

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漫画家を志した私は、ノートに漫画を描きまくった。ただ、小学生ゆえに、ペンを使って描くわけではなく、鉛筆だったり、ボールペンだったり。今思えば落書きの延長だ。しかし、当時は本気で漫画家になることを考えていた。

根底には自分自身へのコンプレックスがあったのかもしれない。今では考えられないが、当時の私は食が細く、ガリガリに痩せていた。食べることにまったく興味がなかったのだ。家族で外食へ行っても、メニューを選ぶのも面倒くさいほどだった。

困り果てた母は、私に何とか食べさせようと、嫌いなものを細かく刻んで入っているのがわからないようにした。それでも食べないので母はかなり苦労したと思う。そんな私がフードライターとして仕事をしているから人生はわからない(笑)。

そのせいか、身体が弱く、風邪を引くとなかなか治らなかった。小学校4年生のときがいちばん酷く、咳が出ると止まらなくなり、呼吸もできないほど苦しかった。しかし、不思議なことに、病院へ行くとすぐに咳は治まるのである。何度、病院を往復したのかわからないほどだった。

この年には入院もした。病名は気管支喘息。入院は2週間ほどだったが、小学校4年生にとってはとてつもなく長い。病室では、漫画を読んだり、漫画を描いたりして過ごした。

たしか、当時描いていたのはSF漫画だったと思う。空からカップラーメンが飛んできて、それを食べるとスーパーマンのようなヒーローに変身するというストーリーだった。って、なんて話だ(笑)。

現実の自分は病弱なのに、自分の描く漫画の主人公は地球征服を目論む敵をバタバタとやっつける。きっと、自分のなりたい姿を漫画に投影していたのだろう。

当時読んでいた漫画も自分の考え方に大きく影響した。藤子不二雄や赤塚不二夫はとうに卒業して、彼らが漫画の神様として崇めていた手塚治虫の漫画を読み耽っていたのだ。

手塚漫画は、世の中の不条理や人間の醜さが描かれており、ほとんどの作品はハッピーエンドではない。手塚治虫の人間観や人生観に感化された私は小学生ながら人生に夢も希望も持てなくなってしまった。

と、書くと、友達がいなさそうな暗〜い子供をイメージされるかもしれない。実際、友達は多い方だった。が、友達の前では、人生に、将来に対して冷めきっていることはおくびにも出さなかった。

その頃から、「人間は平等」と学校で教わったことが空虚に思えた。実際には平等何かではなく、金持ちもいれば、貧乏人もいる。健康な人もいれば、病人もいる。頭の良い人もいれば、バカもいる。何とこの世の中は不公平なのだと思っていた。どうすれば両者の溝を埋めることができるのかを考えていた。ホント、憎たらしいガキだった(笑)。

つづく。

永谷正樹のつくり方。1

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今月25日で、私がフリーになって25周年を迎える。誰か祝ってくれ。自分が会場をおさえて人を集めてお祝いをするのは、誕生日にキャバクラでお金を払っておねえちゃんたちに祝ってもらうのと同じじゃないですか(笑)。

ってことで、誰か祝ってくれ。今のところ9月25日(金)は、取材も何も入っていないし。誰か祝ってくれ(←クドイ・笑)。

いや、そんなのはどうでもいい。26歳のときに編集プロダクションを辞めて、人生のちょうど半分がフリー生活になってしまった。23歳で出版の仕事をはじめたとき、30歳すぎにフリーになれればよいと思っていた。緻密に計算して勝算を見出したから独立したわけではない。完全に見切り発車。

カメラマンだけではなく、ライターとして仕事をしているのも自ら望んだことではない。完全に成りゆき。テレビや講演会など喋る仕事もノリというか、面白そうという好奇心からはじめただけ。

もちろん、すべて自分の意志で決めたことだが、私の生き方や考え方は、他人様からすれば「変わっている」らしい。どこで道を踏み外したのか(笑)。それを自分自身で検証すべく、これまでの半生を出来る限り詳しく思い出して綴っていこうと思う。

1969(昭和44)年4月25日、愛知県西春日井郡新川町(現・清須市)で私は生まれた。新川町での思い出はほどんどなく、記憶のスタート地点は隣町の西枇杷島町(こちらも現・清須市)。何歳のときに引っ越してきたのかもわからないが、小学校2年に進級するまでそこで暮らした。

両親と5最年上の姉の4人暮らしだったが、年に何回か「兄」が家に帰ってきた。また、ときどき母とともに別の「兄」が暮らす家に行くこともあった。兄たちは末っ子の私を可愛がってくれた。

とくに年に何回か家に帰ってくる兄はお小遣いを沢山くれたので大好きだった。幼心になぜ、2人の兄と暮さないのか不思議だった。しかし、両親には聞いてはいけないことだと思っていた。

実際、ただの一度も聞いたことがない。他の家とは違う我が家の事情が飲み込めたのは中学生くらいの頃だろうか。要するに両親はお互いにバツイチ同士で、兄たちは父と母の連れ子だったのだ。兄たちは大変な苦労をしたということは、私が大人になってから聞かされた。

私が兄の立場だったら、歳が離れているとはいえ、両親の愛情を一身に受けていた姉や私に辛く当たっていたと思う。しかし、兄たちは違った。今でもそれはとても感謝している。

幼い頃は絵を描くのが好きだった。新聞の折り込みチラシの裏にいつも落書きをしていた。それはおそらく、父の影響である。父はマンガ雑誌などを見ながらスラスラと模写して私に見せた。幼い私にはそれが魔法のように見えたのだ。その魔法を身につけたくて、私は来る日も来る日も絵を描いていた。

保育園に入ると、ケイタ君という、とても絵の上手な子がいた。彼が描いた自動車の絵を見て「負けた」と思った。お絵描きの時間に彼がどうやって描くのかが知りたくて、隣にピタッとくっついていたのを今でも覚えている。彼はそれをすごく嫌がっていた(笑)。

しかし、いつの間にかケイタ君は引っ越してしまい、保育園で会えなくなった。ちょうどその頃、私は絵を習うことになった。どういった経緯でそうなったのかは知らない。想像するに、私の絵の先生はケイタ君だったが、いなくなってしまったため、母に無理を言っていたのだろう。困り果てた母が絵画教室を探して、習わせてくれたのだと思う。

絵画教室に通ったのは、ごくわずかな間だったので、ほとんど覚えていない。先生から褒められたことや「自由に伸び伸びと、好きなように書きなさい」と言われたことは覚えている。

小学校へ入学すると、マンガに夢中になった。ドラえもんやオバQをチラシの裏に書きまくった。それに飽き足らず、自分でストーリーも考えるようになり、将来は漫画家になろうと決めた。

つづく。

永谷正樹のつくり方。プロローグ

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先日、出演させていただいた『IZAKAYA HOTACON ~shuffle on the radio~ 』で、私の写真に対する考え方をほんの少しだけ話した。ところが、友人の野田君も保田さんも、メイク&フォトの相棒であるえり子さんまでもポカーンとしていた。

つまり、まったく理解されなかったわけである。それどころか、「ナガヤ、ヤベェ!」みたいな空気になってしまった。

一昨日も名古屋市内のバーの取材・撮影で一日中、野田君と保田さんと一緒にいた。その中で、野田君に

「ナガヤさんって、ブログだけ見ると、めちゃくちゃこだわりが強くて、厳しい人のようなイメージがありますよ」と言われて、ハッとした。

少し前にFacebookで繋がっている方と初めてお目にかかったとき、

「ブログやFacebookでは大物感が漂っているのに、実際にお会いするとそうでもないんですよね」と、褒めてるのか、ディスっているのか、よくわからないコメントをいただいた(笑)。それを思い出したのだ。

そりゃ、人にはいろんな面がある。このブログやSNSの私も私だし、リアルな私も私である。ただ、ブログだけを見て、「この人はこういう人なのだ」と判断されてしまってはたまらない。

あ、このブログは好感度を上げるために書いているわけではないので、別に私を「イイ人」と思ってもらわなくてもよい。ただ、私は強いこだわりを持って生きているわけでもなく、ましてや大物でもなんでもない。リアルな私とあまりにもかけ離れているのだ。

ブログやSNSの私とリアルな私との差というか、ギャップを埋めるためにはどうすればよいのか。ブログの書き方というか、テーマを変えればよいのか。タイトルの通り、「名古屋めし」の食べ歩きブログにすればよいのか。

答えは、否だ。このブログの始まりは、当時、なごやめしをテーマとした講演会のレジュメ代わりに作ったものではあるが、今ではまったく趣が変わっている。オノレの気持ちを文章化することでオノレがオノレに向かい合うためのものである。今さら変えられるわけがない。

いや、そもそもギャップを埋める必要があるのか。私は、私だ。オノレがどのような人間なのかを決めるのは他人様ではない。オノレ自身だ。危うく人の判断に惑わされそうになった。

私は、どこにでもいる、ごくふつーの51歳の、ややくたびれた中年男だと思っている。そんなドラマチックな人生を歩んできたわけでもない。たまたま、写真を撮り、文章を書き、たまーにテレビや講演会などで喋ることを仕事にしているだけだ。

オノレ自身の人生なんぞ恥ずかしいことだらけなので、あまり振り返りたくもない。が、いかに平凡な人生を送ってきたかを知らしめるため、次回以降にこのブログに綴ってみようと思う。題して、「永谷正樹のつくり方」。つまらないことは目に見えているので、あまり期待しないでほしい。

お酒の味。

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長い一日だった。

昨日は、コロナ禍で客足が遠のいてしまったバーの応援企画として、市内のバー3軒を取材・撮影で回った。このプランを持ち込んでくれたのは、昨日のブログにも登場した友人の野田君と保田さん。律儀な彼らは、取材にも立ち会ってくれた。

話を聞いた中には、やはり、コロナの影響をモロに受けているようで、緊急事態宣言中はバーなのに昼に店を開けてテイクアウトを販売して凌いでいた店もあった。

「僕一人でやっているので、店を閉めても2、3ヶ月くらいはなんとかなるけど、何かやってないと……ね」と、ある店のマスターは言った。

その気持ちは痛いほどよくわかる。私の場合、2、3ヶ月ではなく、1ヶ月でさえもなんともならないのだが(笑)。時の流れに身を任せる。聞こえはいいけど、私にはできない。きっと、根っからの貧乏性なんだろう。

その点、野田君や保田さんはスゴイ。錦三(錦3丁目)や新栄の居酒屋やバーに頻繁に足を運んで応援している。居酒屋やバーの惨状を目の当たりにしているからこそ、今回のプランを思いついたのだと思う。私のような木っ端ライターがどれだけ力になれるかどうかわからないが、精一杯やらせていただこうと思っている。

今回、お酒の取材ということで、野田君が気を利かせて運転手を務めてくれた。それぞれの店でカクテルを試飲させてもらったのだが、どれも美味しかった。若い頃はカクテルの味なんてわからなかった。飲みやすいか否かで判断していたと思う。

いや、カクテルに限らず、お酒は酔えればそれでよかった。しかし、年を取るにつれて、お酒の味がわかるようになってきた。旨い料理は、旨い酒を飲むためにあるのだと思うようにもなった。認めたくはないが、やはり、大人になったのだ。

私も野田君や保田さんのように、たまには飲み歩いた方がよいと思った。ほんと、仕事ばかりしてるもんなぁ。お気に入りのバーで、気の合う友人や仲間としっぽりと語り合いたい。
『壺中天』上井さん、『高砂』堀江さん、森健さん、加藤博康さん、中垣浩一君、礒谷正直君、ずっとご無沙汰していて申し訳ない。近々、行きましょう♪

ヤバイ奴。

ヤバイ奴は、写真中央のヒトではありません(笑)。まぁ、読んでください。

昨日は、友人の野田典嗣君と、保田隼希さんがパーソナリティーを務める『IZAKAYA HOTACON ~shuffle on the radio~ 』の収録。6月にも出演させていただき、今回で2回目。

izakayahotacon.wordpress.com

前回はフードライターとして紹介されたが、今回は写真家として、メイクアドバイザーの山村えり子さんと共に取り組む『メイク&フォト』について話す、はずだった。

「当初は1回こっきりのイベントのつもりでしたが、お客さんがとても喜んでくださるので、定期開催しようと」、「1年の大半は、何もない日常生活を送っているわけで、実はその日常の中に美しさがあるということを伝えたいんです」等々、『メイク&フォト』の魅力は、私もえり子さんも語った。

ところが、野田君の放った

「料理と人物の写真って、ナガヤさんの中で違いはあるんですか?」というひと言が現場の空気を変えた。

確かに、料理と人物はジャンルがあまりにも違いすぎる。そう思うのも仕方がない。しかし、私の中ではまったく同じとまでは言わないが、整合性をとっているつもりである。

料理の前でカメラを構えると、私は料理に向かって何やら話かけているらしい。そんなことをどこかのお店の人から聞かされたことを思い出して話した。実は、私自身は自覚していない。多分、「もっと上から」とか「もっと下から」とか言っていると思う。

しかし、料理はカメラマンの指示通り、上や下を向くわけではない。となると、私が動くしかない(笑)。そう言うと、野田君も保田さんも、えり子さんまでポカーンとしている。いや、「この人、ヤバイ」みたいな空気まで流れている。野田君はフォローするどころか、

「ナガヤさん、食べているときも喋ってますよね。僕に向かって話していると思ったら、違うんですよ。料理と話してる(笑)。多分、頭の中で味の分析をしてると思うんですけど、アウトプットされた言葉が『旨い』のひと言だけなんですよ」と、追い討ちをかける始末。もう、オレ、安全にヤバイ奴じゃん(笑)。

O.A.は、約2週間後くらいらしい。正式に決まったら告知します。でも、O A.を見ても引かないでください(笑)。