永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

名古屋めしの魅力は、「寛容さ」にある。

f:id:nagoya-meshi:20171022140319j:plain

食の取材を通じて、これまで多くの料理人たちと出会った。彼らにとって、美味しいものを作ることが第一であり、そのためなら他ジャンルの技法を何の躊躇なく採り入れる。ときには、異なるジャンルの店に赴いて、教えを請うこともある。このように、和食やフレンチ、イタリアン、中華などのジャンルにとらわれない柔軟さが彼らの魅力である。

聞くところによると、フランスの三ツ星レストランでは、カレー粉や抹茶、醤油、味噌なども使っているという。現代のフランス料理は、クラシックスタイルのそれとはまったく異なる。

「こんなの、フランス料理ではない」という人も当然いることだろう。それも一つの意見として尊重すべきだとは思うが、生クリームやバターをたっぷりと使ったクラシックなフレンチしかフランス料理として認めないのは、あまりにもツマラナイではないか。

「これもまた、フランス料理である」とした方がよほど楽しい。これが正しいとか、あれは間違っているという議論がいかにバカバカしいことか。

しかし、ネットの世界では、不寛容であればあるほど注目を集める。とくに、特定の国や人に対して、独善的な考えを一方的に述べる。しかも匿名で。やがて、論調はどんどん過激になり、ヘイトスピーチと化す。本当にくだらない。

先日も某政党が「寛容な保守」を標榜しながら、考え方の合わない人を排除したことで一気に信用を失った。今日は衆議院選挙の投票日だが、きっと多くの議席を失うことであろう。

名古屋めしの魅力は、その寛容さにある。和食でもあり、洋食でもあり、中華でもあるだけでなく、郷土料理でもあれば、創作料理でもある。本来、ジャンルも発祥時期もバラバラだった料理を「名古屋めし」というコトバで一つにしたのである。

たしかに、一括りにしたことで「これは名古屋めしではない」という考え方もできる。その一方で、一括りにしたからこそ、「これもまた、名古屋めしである」と考えることもできる。もちろん、私は後者だ。

※写真は大曽根にあるスーパー銭湯大曽根温泉 湯の城』の「名古屋モーニングセット」(500円)。和、洋、何でもアリのカオス感が名古屋っぽい。