永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

そうだ、女房の話をしよう。

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まったく、このブログは、公私混同も甚だしいったらありゃしねぇ(笑)。私自身が仕事とプライベートの線引きができていないからだろうな。ブログに限らず、オノレを取り巻く環境や出来事は、善くも悪くもすべてオノレの心が反映しているのだ。

でも、毎日、このブログに思ったことをありのままに書く作業は嫌いではない。書くことで自分の気持ちが整理することができるのだ。ってことで、今日は思いっきりプライベートを晒そうと思う。そうだ、女房の話をしよう。

今年3月で女房と結婚して25年、いわゆる銀婚式を迎える。だからといって、旅行へ行ったり、プレゼントを贈ったりすることはないと思う。女房も望んでいないと思うし、第一、わが家にはそんな経済的な余裕はないのである。せいぜい家族で食事へ行くくらいだろう。

そりゃ25年間も夫婦をやってりゃいろいろある。いちばん大変だったのは、私の両親の介護だったと思う。当時、女房は今のようにフルタイムで仕事をしておらず、日々の食事の世話はもちろん、介護認定の手続きやデイサービスの申し込み、両親が入院・手術をしたときもすべて一人でこなした。私もできる限りは協力したものの、ときには

「もう、無理!」と、私に感情をぶつけたこともあった。私は女房の話を聞き、励ますことしかできなかった。同時に、

「今の状況が最悪だとしたら、これ以上悪くなることはない。だから、これからは善くなるしかない」と、自分に強く言い聞かせた。

ある日のこと。女房が母の髪を櫛でとき、手足の爪を切っている姿を見た。母の晩年はほとんど寝たきりだったので、髪も乱れ放題で、爪も伸びていたからだろう。その光景が私にはとても眩しく見えて、涙が出そうになったことを今でも覚えている。

2012年3月に父が、5月に母が亡くなったが、親不孝者の私は両親の死に目に会えなかった。父が亡くなった日は長崎へ出張中でどうすることもできなかった。喪主であるにもかかわらず、通夜にも出られなかった。葬儀は女房がたった一人ですべて仕切った。母の葬儀を終えた後、

「これでやっと永谷家の一員になれたような気がする」と、女房は呟いたのが忘れられない。

よくもまぁ、こんなロクデナシの私なんぞのところへ嫁いできたものだと思う。今も私の稼ぎが少ないために、女房はフルタイムで働いている。

「もっと稼いでオレを養ってくれ」と、女房の神経を逆なでするようなクズ発言をしているが、本当は感謝の気持ちでいっぱいであることは言うまでもない。私がここまで自由に、好き勝手に生きているのは女房のおかげなのである。

女房を色に例えると、白。オフホワイトではなく、純白。真っ白。一緒にいると、どす黒い私(笑)を浄化してくれるような気持ちになるのだ。

「いや、それは奥様の作戦。オンナはシタタカなのよ」という意見もあるだろう。仮にそうだったとしても、別に構わない。このまま一生騙された(?)ままでいようと思う。いや、逆に

「アンタに騙された!」と、三行半を突きつけられる方が先かもしれないな。