永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

「大名古屋モノクローム」プロローグ

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PCやスマホのみならず、街中の看板やポスター、新聞の折り込みチラシなど、今、私たちが目にしている写真は、大半がデジタルカメラで撮影されたものである。かくいう私も仕事でもプライベートでもデジタルカメラを使っている。仕上がりまで早い上にフィルムを使わないのでコストも安いから、仕事を発注する側にとってもメリットが大きいのだろう。

しかし、カメラマン側からすると、3年とか5年サイクルのモデルチェンジのたびに新しいカメラを買わねばならないし、撮影後の画像処理には高性能のPCやモニターも必要となるため、かなり負担となる。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。よい仕事をするためには必要なんだから。私が言いたいのは、世の中に出回っている写真は、何かしらの「加工」が施されているということだ。

例えば、風景写真。画像処理の際に空の色や緑の山々をより際立たせるために「彩度」を上げた写真が実に多い。やや極論になるが、それはニセモノの色なのだ。ただ、仕事でそれをクライアントから求められれば、私もやらざるを得ないが。

しかし、作品として撮影する写真は別だ。これでもかと彩度を上げたり、明るい写真と暗い写真を合成したHDRを駆使したりする写真家もプロ・アマ問わずいる。正直、スゴイ!とは思うし、デジタルカメラで撮影した写真が氾濫するこの時代のニーズもそこにあると思う。でも、私はそれと正反対のことがしたい。

このブログにもアップしているから読者の皆様もわかると思う。私はモノクロ写真にこだわりたいのである。色がなければ彩度を上げる必要もない。色がなければ、被写体そのものが面白くなければ写真として成立しない。それが写真の原点だ。50歳を目前に、もう一度写真と向かい合うには原点回帰をせねばならないのだ。

そこで「大名古屋モノクローム」である。私がレンズを通して見た、オリンピック開幕やリニア開通で変わりゆく名古屋の街の写真をこのブログに載せていこうと思っている。写真の見方や受け止め方は人それぞれなので、あえて文章は書かないが、ご了承いただきたい。