永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

50歳。

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とうとう、50歳になってしまった。

50年前に私を生んでくださった父母に感謝の気持ちでいっぱいである。母によると、私は4月ではなく、6月が出産予定日だったらしい。母が当時38歳という高齢出産だったからなのか、私がせっかちだったのか原因はわからないが、2ヵ月も早く生まれた。それも2160グラムで。

幼い頃の私は身体が弱く、大人になってからもずっと母は心配していた。その反面、忙しく仕事をしていることをとても喜んでくれた。私も親になってみて、ようやく父と母の気持ちが理解できるようになった。だから、あらためて亡き父母にも感謝したいと思う。

親父、お袋、私を生んでくれてありがとうございます!

さて、年が開けてからずっと50歳になることを意識して生きてきた。そして、先ほど50歳を迎えた。周りの人々や父母に感謝の気持ちはあれど、心は晴れやかではない。

年をとるのが嫌なのではない。50歳という年齢に相応しい自分になっていないことが嫌でたまらないのである。自分が思い描いていた50歳と、今の自分があまりにも乖離しすぎているのだ。

40歳になるときは、いや、49歳の誕生日ですらそんなこと思いもしなかったのに。きっと、今の、この世における生活が永遠でないことを本能的に察したのだと思う。

私は仏教徒ではないが、輪廻転生を信じている。肉体は滅んでも、生命は生き通しで何度も生まれ変わるのだと。だったら、そんな肩に力を入れず、身構えず、時の流れに身を任せればよいのに、と思う方もいるだろう。

でも、私はとことん抵抗したい。運命という大きな歯車に対して、私の力なんてものは屁の突っ張りにもならないかもしれない。「おっさんがナニやってんだか」と、嘲笑の的になるかもしれない。それでも、それでも、抗いたい。

「まだまだ、お前ならやれるだろ?」という内なる声に忠実でありたい。ただ、それだけなのだ。

では、これから先、私は何をめざすのか。

まず、影響力のある人間になりたい。

数年前、ある大学で講師をしていたとき、私は授業で教え子たちに綺麗事しか言わなかった。「人生は思い通りになる。絶対に夢を諦めるな」と。だから、それを私が体現するのだ。いや、体現せねばならないのだ。

私には写真と文章、喋りという表現のツールがある。それらを見たり、読んだり、聞いたりした人が喜び、ときには深く考えたりと、生きていく上で何かしらの影響を与えたい。それも、できるだけ多くの人に。

今、ブログのアクセス数が多いときで1日400人くらい。平均200~250といったところである。これではあまりにも少ない。ゼロが1つ、いや、2つ少ないと思っている。

そのためには、何度も書くが、1枚でも多くの写真を撮り、1文字でも多く文章を書くしかない。喋りは……写真や文章が認められれば、テレビやラジオへの出演や講演の機会も増えるだろうから、それで鍛える。

そして、もう一つ。

やっぱり、モテたい(笑)。

あー、これまでマジメに語っていたことが音を立てて崩れ落ちそうだ(笑)。異性にモテるのはもちろんだし、大歓迎だが(笑)、そればかりを望んでいるのではないので、お間違えのないように。

「ナガヤの撮った写真をもっと見てみたい」とか、「ナガヤに撮ってもらいたい」とか、「ナガヤの書いた文章をもっと読んでみたい」とか、「ナガヤと会って話をしてみたい」という人を増やしたいのだ。これは商売に関係なく。あ、「ナガヤにメシを奢りたい」というのも大歓迎です(笑)。誕生日パーティーのお誘い、待ってます(笑)。

いかん、書けば書くほど好感度が低くなるな(笑)。まぁ、何はともあれ、今日で50歳になりました。相変わらず、面倒臭い奴ですが、皆様、今後ともよろしくお願いいたします。