永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

僕は僕を失うために生きてきたんじゃない。

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私は写真や文章を誰からも教わったことがない。でも、勝手に師匠と思っている人はいる。『おとなの週末』の仕事を始めたときの担当編集者だ。当時、私は33歳。フリーとなってまだ7年。素人同然だった私は、彼からグルメ取材のイロハを教わったと言っても過言ではない。耳にタコができるほど聞かされたのが、

「いいか、お前は読者の代わりに店へ行き、読者の代わりに料理を食べて、読者の目線でその店を掲載すべきか否かを考えるんだ」ということ。

これは何もグルメ取材に限ったことではない。事件や事故、政治、経済、芸能、スポーツ……。それらの取材をするライターにも言えることだろう。彼らもまた、読者の代わりに現場へ行き、読者の代わりに話を聞き、読者目線で記事を書くのである。

一方、同じライターでもコピーライターという職業がある。彼らが第一にするのは、クライアントである。コピーライターがユーザー目線で秀逸なコピーを書いたとしても、クライアントからGOサインをもらわなければ日の目を見ることはない。

コピーライターも、広告カメラマンも私は依頼があればやる。ただし、私自身がそのクライアントに対して興味を抱いたり、共感したりしなければ無理だ。リスペクトできないクライアントのコピーをビジネスと割り切って書くなんて器用なことはできない。だから、私はコピーライターも広告カメラマンも向いていない。長渕剛の『逆流』ではないが、僕は僕を失うために生きてきたんじゃない。

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……と、書いているうちに何だかバカバカしくなってきた。メディアだの、広告だのと使い分けるよりもオレはオレの仕事をするだけ。「永谷正樹」が一つのブランドになれば、取材の仕事だろうが、広告の仕事だろうが関係なくなる。そう考えると、私はまだまだということなんだな。

 

逆流

作詞・作曲 長渕剛

 

僕がここを出て行くわけは
誰もが僕の居場所を知ってたから
やさしさを敵にまわしてでも
生きてる証しが欲しかった

竹馬で歩く様に 今はまだぎこちないが
先ずは ここから足を踏みだし
飾り言葉を投げ捨てて
「若いくせに!」なんて言わせたくない

奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が他人の生きざま バカにしようとも
一歩前のこの道を行かなければ
だって僕は僕を失う為に
生きてきたんじゃない

ひび割れた悲しみに しばられる前に
コップ一杯の水を飲みほそう
先ずは喉をうるおして
目の前のいざこざをけちらすんだ

たとえば誰かが さびれたナイフで
僕に軽蔑を突きつけても
腰を据えて受けてやる
げんこつひとつで 笑えるさ

奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が他人の生きざま バカにしようとも
一歩前のこの道を行かなければ
だって僕は僕を失う為に
生きてきたんじゃない