永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

恋バナ。1

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お気に入りの店とは、恋人に似ている。週に一度とか隔週ごととか決まったペースで逢いに行き、時間と空間を共有する。それが永遠に続けばいいのに、とさえ思う。

しかし、別れは突然やってくる。心にぽっかりと穴が空き、もう、あの料理を食べることができないんだと寂しい気持ちでいっぱいになる。やはり、恋人を失ったような気持ちとどこか似ている。

2012年の秋、私は恋に落ちた───。

それは、グルメ検索サイトに店名と住所等のデータとメニューの一部しか載っていない店だった。もちろん、名古屋ではまったくの無名。昼に住所を頼りに女房と訪ねると、そこはマンションの奥にある古ぼけた店だった。看板や暖簾もなく、お世辞にも入りやすいとはいえない雰囲気。引き返すことも考えたが、空腹には勝てず店へ入った。

店内はカウンターのみ。案内された席へ座ると、その横で女将さんがお弁当を売っていた。客はどんどん入ってくるが、皆、弁当が目当てのようだった。それを横目で見ながら私は握り、女房はちらし寿司を注文した。

何しろ、横で弁当を売っているのである。スーパーの持ち帰り寿司が出てきても不思議ではないと思った。ところが、目の前に運ばれたのは、ネタの一つ一つに丁寧な仕事を施した本格的な江戸前寿司だった。女房が頼んだちらし寿司も握りと同様にきちんと仕事がしてあった。

食べてみると、最大限に引き出されたネタの旨みと口の中ではらりとほどけるシャリの旨みが一つになった。震えるくらい旨かった。あまりの美味しさに、ものの10分くらいで平らげてしまった。

余韻に浸っていると、カウンター越しに大将から「まだ入りますか?」と聞かれた。念のために言っておくが、私が行ったのは昼で、注文したのは握りのランチである。にもかかわらず、何なんだ、その問いかけは。

思わず、「ハイ」と答えた。すると、軍艦巻きのイクラを出してくれた。まだ、ちらし寿しを食べている途中だった女房にも、器の中にイクラを追加してくれた。もちろん、追加料金はなかった。

完全に、惚れた───。

もちろん、イクラをオマケしてくれたから、という単純かつわかりやすい理由ではない。丁寧な仕事ぶりやその所作、そして、気風の良さに「粋」を感じたのである。

後から聞いた話だが、私があまりにも美味しそうに食べていたから(笑)、つい、「これでもか!」と、サービスしてしまったらしい。

恥を忍んで告白するが、本当に旨いものを食べると、私はドMになる。「カンベンしてください!もう悪いことはしませんっ!」と、意味もなく謝ってしまうのだ。なぜ?と聞かれても私もわからない。ドMだから、としか言いようがない。こうして私は初っ端から大将の術中にハマってしまったのである。 

恋をすると、相手のことをもっと知りたくなる。初訪問から数日後、取材のアポを取るために電話をかけた。はたして取材を受けてくれるか否か。受話器を持つ手が震えた。

つづく。