永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

恋バナ。2

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電話に出たのは、店のオーナーである女将さんだった。

「先日、客としてお店にうかがったのですが、すごく美味しくて……。是非、『おとなの週末』の誌面で紹介させていただきたいと思いまして連絡させていただきました」

そう話すと、すごく驚いてらっしゃった。が、取材を快諾していただいた。取材が楽しみで仕方なく、付き合いはじめたばかりの彼女とのデートが待ち遠しく思うように、私もその日が来るのを指折り数えた。

そして取材の日を迎えた。話を聞くと、大将は東京生まれの東京育ち。実家は寿司屋を営んでいて、幼い頃から店を手伝っていたという。さらに東京の有名店でも修業を積んだとか。なぜ、そんな人が名古屋にいるんだろう?

大将は極真空手の師範でもあり、女将さんの息子さんが通っていた空手教室で教えていた。女将さんから店を始めると聞き、手伝うことになったのだ。とはいえ、いくら凄腕の寿司職人であっても、宣伝をまったくしなければ客は来ない。仕入れた魚介をお弁当のおかずに使う日が続いた。っていうか、私が取材した頃もそんな状況だった。

「寿司ネタとして仕入れたものですから、焼きものやフライにすると、お客さんが『美味しい!』って、とても喜んでくださるんですよ」と、女将さん。そりゃ旨いに決まってる(笑)。

また、大将は東京出身ゆえに、江戸前寿司のネタで高級とされる三河湾産の魚介をどのようにすれば美味しく食べられるかを知り尽くしていた。ネタごとに熟成させたり、昆布で締めたり、炙ったりと、とても引き出しが多かった。その手間も惜しまないところにも私は「粋」を感じた。しかし、大将は

「私は昔のやり方しか知らないんですよ。つまみとかも出せないですし」と、どこまでも謙虚。私は寿司屋ではつまみは不要と考えている。寿司だけでも十分に酒の肴になるし、ここでは大将の握る寿司以外に何も要らなかった。

そう考える客は私だけではなかった。多くの常連客が新しい客を連れて来た。またその客が新しい客を連れて来た。私も足繁く通った。安い居酒屋チェーンでたいして旨くもない料理を肴に呑むのが馬鹿らしくなった。

私は店へ行くたびにFacebookで寿司の写真を公開した。いち早く反応したのは、Facebookで繋がっている有名店の料理人たちだった。彼らもまた自分のFacebookに写真を載せた。私の大好きだった渥美仁規シェフもその一人。私の居ないところで大将と私の話で盛り上がったらしい。

ここで旨い寿司をつまみながら焼酎のグラスを傾けるのが何よりも楽しかったし、癒やされた。ここへ来るのを楽しみにまた仕事を頑張ることができた。カメラマンやライターの仲間との忘年会や長男の高校の入学祝いにも利用させてもらった。長いことグルメ取材をしているが、本当にすばらしい店を見つけたと思った。

これからもずっと通い続けると思っていた。しかし、別れは突然やってきた。

つづく。