永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

言い訳。

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編集プロダクションで働いていた頃、たまたま名古屋で写真展を開催していた橋口譲二さんにお目にかかることができた。

学生時代、橋口さんの写真集『俺たち、どこにもいられない』や『十七歳の地図』、『Father』にかなり影響された。

私はモノクロの人物写真をよく撮る。取材先で取材や撮影がすべて終わってから、相手に頼んで撮らせていただくのである。

私は自分のことも話ながら取材をする。時間にしてほんの30分程度ではあるが、私の人となりも伝わっていると信じてシャッターを切る。それがとても楽しい。

この撮影手法で撮影されたのが橋口さんの『十七歳の地図』をはじめとする写真集なのである。こちらが本音をさらけ出すことで、レンズを見つめる相手の本音を引き出すというスタイルは、いつしか私の撮影手法にもなった。それだけ橋口さんに影響を受けたのだろう。

橋口さんと会ったのは、25歳のときだったと思う。なぜ会うことができたのかは忘れてしまった。たしか、写真展の主催者の方が引き合わせてくれたのだと思う。私は仕事の合間に撮影した作品を持参して会いにいった。

当時は風俗やキャバクラの取材が多かった。取材へ行くときは、仕事用のカメラとは別に作品用のカメラを持参していた。取材していて、「撮りたい!」と思った女の子に頼んで撮らせてもらった写真だ。

ほとんどが裸の写真だったが、橋口さんは1枚1枚真剣に見てくださった。そして、

「なぜ、この子たちは風俗店で働いているんだろう……」と、呟いた。

信じられないかもしれないが、当時はホストクラブにハマって風俗で働く女の子が多かった。お気に入りのホストをナンバーワンにしたいという子もいただろうし、彼氏(と思っているのは自分だけだが)を支えたいという子もいたと思う。そのメンタリティに私はとても興味があった。それを橋口さんに話すと、

「それはとても面白いテーマだと思う。今勤めている会社なんて辞めて、その取材に専念した方がいいよ」と、フリーになることを勧められた。

当時、私は結婚したばかりで、独立するのはまだ先だと思っていた。それだけに、なんて無責任なことを言うのだと思った。さらに、女房と共働きであることを話すと、

「それならちょうどいいじゃない。奥さんに食わせてもらえばいいよ」と、橋口さんは軽い口調で言い放った。当時は私にもプライドがあり、女房に食わせてもらうなんてことはとてもできないと思った。私は半ばあきれて写真展の会場を後にしたことを覚えている。

しかし、今、私が橋口さんと同じ立場だったら、同じことを言うと思う。お金が……とか、女房は……とかは、できないことや一歩踏み出す勇気がないことの言い訳にしかならないのだ。今思えば、わざわざ会ってくださった橋口さんに「できません」を連発したのがとても恥ずかしい。

私はその1年後、26歳のときに会社を辞めてフリーとなった。結果的に独立してからしばらくは女房に食わせてもらった。今もフルタイムで働いてくれていて、助けてもらっている。私はというと、自分勝手に生きている。橋口さんの言った通りになった。

自分の好きなように、自由自在に私は生きているつもりだが、まだまだ心が満たされないのは、まだまだ自由ではないのだろう。橋口さんと会ったあのときのように、何かを言い訳にしてはいないだろうか。それを考えてみる。

※写真は、東区泉1丁目にある『キッチン はせ家』のチーフ、小川正雄さん。この写真は私のお気に入りの1枚。

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