永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

人生は原稿書きのようなもの。

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先日、このブログをご覧になっている方から、

「ナガヤさんは人生を楽しんでらっしゃる」と、言われた。

そのように受け止めてくれるのは本当にありがたいというか、嬉しいというか複雑な心境。これだけはハッキリ言っておきたい。

決して、楽しんでなんていない。そんな余裕もない。むしろ、苦しい。いや、正確に言えば、楽しくなるかもしれないという可能性に懸けているのである。

それも、50歳のおっさんが。若いヤツらからすれば、悪あがきにしか見えないだろう。だから、足掻いて、足掻いて、足掻きまくってやろうと。何も失うものがないおっさんの本気はコワイんだぞ(笑)。

今月の三連休は、すべて原稿書きに終わった。フードライターの私にとってはジャンル外の原稿だけに、かなり悪戦苦闘した。同じ文字数でもグルメ記事であれば、半日くらいで書き上げたと思う。いや、それは言いすぎだ。しっかりと丸一日はかかるな。

書きながら思った。私の人生はこの原稿書きのようだと。書いている最中は、苦しくて苦しくて逃げ出したくなる。実際、3日間で何度Facebookに逃げたり、ソファでごろ寝したことか。 

でも、書かなきゃ終わらない。一切の誘惑を断ち切って、パソコンの前に向かい、やっと書き上げたのである。さすがにそのときは何とも言えない爽快感というか、解放感に満たされる。それを感じたいがために原稿を書いていると言っても過言ではない。ひょっとしたら、私はドMかもしれない(笑)。

どうでもイイが、写真を撮っているときは、仮に被写体が料理であっても、心の中で「オラ!オラ!オラァ!」と叫んでいる。だから、ドSという面もある。って、ほんと、どうでもイイ話だな(笑)。

毎日ブログを書いているにもかかわらず、仕事で書く文章となると、まるで自信が持てない。こんなの、楽しいわけがない。苦しくて、辛い。でも、毎日書いているうちに楽しくなるかもしれない。

人生だってそう。原稿書きのように毎日苦しくて辛いことばかり。でも、ただ目標も目的もなく、漫然と生きるのではなく、ちょっとだけ真剣に、もとい、怠け癖のある私の場合は思いきり真剣に、だな。思いきり真剣に生きていれば、楽しくなるかもしれない。

そりゃ、ずっとスイッチがオンだと疲れてしまう。今と同じペースで仕事ができるのもあと10年足らずと思っているから、終わりが見えているから、スイッチが入りっぱなしでも大丈夫なのである。

原稿書きで例えると、今は書いている最中。書き上げたときのような解放感や爽快感は、オノレの命が燃え尽きるときに感じるかもしれない。感じたいからこそ、原稿を書くためにパソコンに向かい合うように、オノレ自身に向かい合っているのである。決して楽しい作業ではない。