永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

レッテル貼り。

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このブログは、私が思っていることや考えていることを嘘偽りなく書いている。ときには心の奥底にある深層心理的なことを書くことだってある。ゆえに、このブログを読めば私の人となりがわかる、かもしれない。

実際、このブログを読んでくださっている方に会うと、私のことは何でも知っている。Facebookでも繋がっているブログの読者様となると、私よりも私のことを知っているんじゃねぇかとさえ思う(笑)。

可哀想なのは私の女房である。私が女房の写真をFacebookにアップしているので、女房を交えてFacebookの友人と会うたびに、「いつも見てます」と言われるのだ。女房はFacebookをやっていない上に私が写真をアップしていることも知らないので、頭の中が「???」だらけになるらしい。って、私が写真を載せなきゃいいのか(笑)。

たしかに、ブログもFacebookも私のことを知る便利なツールではある。しかし、それらはあくまでも私のごく一部分を表現したものにすぎない。

私だけではない。どんな人だってそう。それこそ、テレビで見かける芸能人も、メディアに映るのはその人のごく一部分。テレビとリアルがまったく同じ芸能人なんているわけがない。人はそんな単純にはできていないのだ。

にもかかわらず、ネットでよく見られるのが、レッテル貼り。現政権を批判しただけで「反日だ!」、「売国奴だ!」と大騒ぎ。自分の気に入らない者は「在日」と認定。マスコミは「反日左翼」に乗っ取られた「マスゴミ」。イイ年した大人が大マジメに、青筋を立てながらガナリ立てている。ただし、匿名で。あ、一国の指導者が「こんな人たち」とレッテル貼りしたこともあったな。

そもそも、人を白か黒か、右か左かなんて分けられるはずがない。グレーでいいと思うし、真ん中でもいいし、真ん中の右寄り、左寄りでもいい。いろんな意見や考えがあっていいのだ。レッテル貼りは排除を意味するのである。自分も気をつけたいと思う。