永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

Y社長。

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看板もなければ後ろ盾もないフリーにとって、人脈は生命線といえる。自分には何のメリットもないのに、私のために骨を折ってくださった恩人が沢山いる。

Y社長もその一人だ。Y社長は東京の老舗飲食店の八代目。出会ったのは、かれこれ10年前くらい。名古屋にY社長がプロデュースした店があり、食べに行ったところかなり美味しかったのである。当時、仕事をしていた雑誌で紹介しようと、取材のアポをとるために店に電話をした。

「○○○(雑誌名)の取材をしております、ナガヤと申しますが」と告げると、数秒間の沈黙があった。不穏な空気が流れていることは受話器越しでもわかった。

「申し訳ありませんが、社長宛てに今から申し上げる番号に電話をしていただけますでしょうか」とのこと。

言われた通りに電話をすると、Y社長が出た。そこで再び雑誌名と名前を告げたところ……。

「取材ぃ?あれだけボロカスに書きやがって!今さらナニ言ってんだ!」と、ものすごい剣幕で怒鳴り散らされたのである。私の頭の中は?マークだらけ。サンド富澤じゃないが、「ちょっと何言ってるか分からない」と言いたくなる(笑)。とにかく、何に対して怒っているのかもさっぱりわからない。

「ちょっ、ちょっとすみません。私には何のことをおっしゃっているのかさっぱり分からないのですが」と言うと、Y社長は冷静に話しはじめた。

何でも、私が仕事をしていた某グルメ誌が東京にあるY社長の店のことを「行ってはいけない店」として紹介されたらしい。それも1回だけではなく、何度も。それこそボロカスに書かれたというのだ。

私はまったく知らなかった。送られてくる掲載誌を隅から隅まで読んでいれば、こんなことにはならなかったのだが、東京や大阪のページは興味を引く企画以外はスルーしていたので私にも責任があるといえばある。

そんな憎き相手から手の平を返したように取材の申し込みの電話がかかってきたら、そりゃキレるだろう。Y社長の気持ちも理解できる。私は東京の企画にノータッチであることを伝えて、何とか取材のアポを取り付けた。

取材当日、名古屋の店ではY社長自らが対応してくださった。話をしているうちに、Y社長は八代目としての苦悩を語り出した。

「創業してからずっと味を変えてないんですよ。現代の人の味覚に合わないとわかっていながらも。だから、ボロカスに書かれたのでしょう。先代までは味を変えてはいけないと思っていたけど、私はここ(名古屋の店)が成功したら、それをベースに本店の味も変えようと決めています」

グルメ誌から取材のオファーがあったということは、味が評価されたからにほかならない。そして、私に話した通り、本当に本店の味を変えてしまった。もともと人気は全国区だったが、さらに人気となった。お昼時なんかは長蛇の列ができた。

しかし、それはそれ。かなり後から聞いた話だが、Y社長は某グルメ誌に対して法的手段に訴える、つまり、裁判の準備をしていた。

つづく。