永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

勝ち組、負け組とマウンティング。

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最近はあまり耳にしなくなったが、一時期、「勝ち組」、「負け組」という言葉がいろんな場面で使われた。何をもって「勝ち」、あるいは「負け」なのだろう。

想像するに、経済的に豊かでリッチな生活を送る人たちのことが「勝ち組」で、「負け組」はその反対ということだろう。

ほんっーーーーーとーーーーーに、くだらない。そりゃこの国は資本主義国家だから、利益を追求するのは当たり前だ。では、1円でも多く儲けた者が勝ちなのか。私は決してそうは思わない。

単純に札束を積み上げていく競争であれば(笑)、たしかに財力のある者の勝ちだ。しかし、そうではない。「勝ち組」という言葉には、幸福という意味も隠されているのだから。

つまり、1円でも多く儲けた者が幸せで、そうでない者は不幸である、と。私はどうしてもそこに違和感を覚えてしまうのだ。

さらに、もう一つ疑問が浮かぶ。はたして、何に、誰に対しての「勝ち」なのか。私にはさーーーーーっぱり解らない。

最近では、「勝ち組」、「負け組」に代わって、相手よりも優位に立ちたいがために、さりげなく自慢話などをする「マウンティング」という言葉をよく耳にするようになった。これもほんっーーーーーとーーーーーに、くだらない。

人を見下すことでしか自分の優位性を確かめることができない「マウンティング」をする人は、はたして幸福なのか。イタい人か、可哀想な人としか思えないのだが。

幸福か。不幸か。それを決めるのは、自分自身。

勝ちか。負けか。戦う相手は他人ではなく、自分自身。

私はそう思うんだ。