永谷正樹のなごやめし生活

「なごやめし」について書き綴ります。

命のデータ。

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テレビをつけて仕事をしていると、事件や事故のニュースが耳に入ってくる。例えば、2人が死亡、3人が重軽傷、等々。さらっと聞き流してしまっている自分が少し怖くなった。亡くなった方も、怪我をした方も、家族や大切な人がいるだろう。この一報を受けて、どんな気持ちだったのか。

もしも、私がその立場なら、目の前が真っ暗になり、その場に立っていられないほどのショックと悲しみに襲われると思う。その後の人生も大きく狂ってしまう。不慮の死に直面したら、誰だってそうなると思う。

テレビやラジオ、新聞、雑誌、ネットから、そんなニュースはほぼ毎日、絶え間なく流れてくる。どこかで誰かが悲しみに打ちひしがれているのである。そんなことを思いながら、ニュースに耳を傾けている人は、はたしてどれくらいいるのか。

事件や事故以外でも、こんなことは多々ある。例えば、国会の議決を経ずに、閣議決定のみで進められた自衛隊の中東派遣。「調査・研究」が目的とのことだが、エライ人たちは自衛隊員の人生を、また、彼らの家族や大切な人の人生をも背負い込んでの決定だったのだろうか。

まだまだある。子供の貧困。日本の子供7人とか6人に1人がご飯をまともに食べられなかったり、進学を断念したりしているという。周りにはそんな子供がいない?自分たちが子供の頃は今よりももっと貧しかった?

人の生き死にが数字やデータになってはいないか。そう捉えていた自分が恥ずかしくなったし、怖い。自分自身にふりかかっていない、いわば他人事だから?そう自問自答すると何も答えられない。

エライ人たちは自分への票の奥にそれを投じた人々の思い、いや、弱者であれば、思いどころか叫びだな。選挙に行けない人もいるし、選挙そのものを知らない人もいるかもしれない。それにきちんと向かい合うべきだ。だからこそ、閣議決定なんぞせず、議論すべきだったのだ。国民の代表なのだから。

あ、エライ人たちに一方的に責任を押しつけるつもりはない。人の数だけ人生があり、喜怒哀楽がある。私が書いた記事を読まれた方も、このブログをご覧になられている方にも。それを肝に銘じたい。他人の喜びや悲しみを自分のことのように喜んだり、悲しんだりできる人でありたい。

※写真は、JR名古屋駅1・2番線ホームの岐阜側にある『かきつばた』の「せんべろセット」。この写真が掲載された記事は↓こちら。

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