永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

自己顕示欲。

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私、自己顕示欲は強い方だと思う。でなきゃ写真を撮るだけでなく、文章を書いたり、テレビや講演会で喋ったりはしない(笑)。こうして毎日ブログを書いているのも、人々から注目を集めたいという気持ちがあるからだ。

私は特別にアタマが良かったわけでも、いや、むしろ悪かったな。ルックスだってサエないし、モテたためしがない。自己顕示欲が強いのは、そういった自身のコンプレックスの裏返しなのだろう。仕事も自己顕示欲を満たすためにしているのかもしれない。

と、書くと、読者様に「うぜぇヤツ」というイメージを抱かれてしまうかもしれない。たしかにそうかもしれないけど(笑)、ちょっと私の話も聞いてほしい。

皆様もご存じの通り、私は名古屋を拠点にカメラマンとして、ライターとして東京の出版社やネットメディアの仕事をさせていただいている。地元誌の仕事を選ばなかったのは、名古屋にいることを武器にすれば、それも、写真も文章も両方やれば東京発注の仕事の需要は必ずあると思ったからだ。

実際、その読みは当たった。名古屋で何かあるたびに仕事のオファーが来たのだ。それが私はとても嬉しかった。もちろん、オファーが来るまでに東京の編集部に足を運んだり、企画を出しまくったりしたが、20代から30代前半までは「名古屋にいること」と「写真と文章を両方やる」ことで食えていた。

そんな状況に文句なんてあるわけないはずなのに、ふと、自分の中で疑問が生まれた。それはだんだんと大きくなっていき、私を苦しめた。というか、今も苦しんでいる。それは、「私でなければできない仕事だったのか」ということ。

断っておくが、担当編集には何も罪はない。まだ駆け出しの、海のものとも山のものともわからない私なんぞにお声をかけてくださって、いくら感謝しても足りないくらいだと思っている。私が実力もないくせに勝手に思い上がっているだけなのだ。それもわかっている。

名古屋にいることはたまたまだったとしても、写真と文章を両方やるということは、私にしかできないかもしれない。でも、そういうのじゃなくて、写真や文章のテクニックとかでもなくて、私自身のキャラクターは武器にならないのかと思ったのだ。って、何だか、書いていて、自分で自分が嫌になってきた(笑)。うぜぇし、面倒くせぇわ、オレ。でも、それが偽らざる気持ちなのだから仕方がない。

「ナガヤだから、仕事をお願いした」と、編集者やクライアントに言われるようになりたい。それが仕事のやりがいになるのは間違いないし、そういう人が増えていけば、東京のメディア関係者に「ナゴヤにナガヤあり」と言わしめることができるのではないか。50代は「自分にしかできない仕事」にとことんこだわってみようと思う。