昨日のブログで、
「 人は喜ぶことを糧に生きているのだ」
と書いた。
では、「喜び」とは何か。
例えば、新しい服やバッグを買う。
それも喜びには違いない。
例えば、好きな人と一緒に過ごす。
それもまた、喜びであろう。
しかし、同じ喜びでも、
それらに勝る喜びもある。
人が喜んでくれたときの喜びだ。
私が撮った写真で人が喜んでくださる。
私が書いた文章で人が喜んでくださる。
私が喋った話で人が喜んでくれる。
だから、私は仕事をしている。
利益は、お金は、
どれだけの人を喜ばせたのかの目安。
…………。
まだまだ、
喜んでいる人が少ないんだな、私は(笑)。
自分は誰も喜ばせていない。
そう考える人もいるかもしれない。
それは絶対にあり得ない。
あなたがいるだけで、
あなたが存在するだけで、
喜んでいる人が必ずいる。
もしも、
喜ばせる相手がいなかったら、
病気や貧困、災害、戦争などの
過酷な状況の中で
生きている人たちに思いを寄せる。
以前、ブログにも書いた
「同慈同悲(どうじどうひ)」の心だ。
新型コロナウィルスの対策が
後手後手となっている政府を
批判したい気持ちも解る。
でも、私は
感染によって亡くなった人と家族、
懸命にウィルスと闘っている人に
思いを寄せる人でありたい。
相手に伝わるかどうかは関係ない。
その思いが、
ステキな世の中を作り、
結果的に多くの人を
喜ばせることができるのだから。