永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

出会い。

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申し訳ない。これまで何度も書いてきたことを再び書く。「またその話か……」と思うかもしれない。しかし、本人は大真面目に考えているからこそ何度でも書いているわけで、書くことでまた決意を新たにすることができるのである。

やはり、私の転機は50歳が目前に迫った49歳と9ヶ月のとき。このブログも自分の生き方を変えようと心に誓ったところからはじまっている。

カメラマンとして、ライターとして鳴かず飛ばずで頭一つ抜きん出ることができないのは、名古屋にいることがハンデになっていると自分の中で言い訳している部分もあった。でも、名古屋に居ながら全国的に名が知れている人だっているし、そもそも名古屋で取材活動をすることを選んだのは自分自身だ。

そんな中でカメラマンになって、ライターになって、可もなく不可もなく、野球で例えれば、内野安打ばかりで満足してはいないか。この先、ホームランを打たないまま終わってよいのかと自問自答を繰り返した。

そんなの、よいわけがない。甘えきった心を叩き直そうと、これまで自分がしてきたことを全否定した。過去の栄光なんてものは自分にはない。あるのは、カメラマンに、ライターになったという事実だけ。そう、思ったし、今も思っている。

しかし、昨日、お気に入りの和食店の若女将からこんなことを言われた。

「でも、沢山の出会いがあったでしょ?」と。

思わず、ハッとした。たしかにそうだ。25年間、この仕事をしてきて、胸を張って人に見せられるような写真や記事は皆無である。でも、私には仕事を通じて出会った、損得勘定を抜きに付き合える大切な人が沢山いるではないかと気がついたのだ。

とくにここ1、2年の間に出会った同世代かそれ以上の人は、人生の酸いも甘いも噛み分けていて、仕事のジャンルがまったく違っていたとしても、すぐに打ち解け合うことができる。悩んでいたのは自分だけではないと、悲しみや苦しみを分かち合うこともできる。いわば、“戦友”同士のような関係となる。そう思うと、自分はとても幸せ者だと思った。

彼ら・彼女らは、名古屋に居ても、それぞれのジャンルで間違いなく全国に通用する、超一流の人たちである。人として、モノを創る者として、少しでも彼ら・彼女らに近づきたい!もっと深い部分について理解したいし、語り合いたい。そのためには、やはり私も走り続けねばならない。