永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

自己責任論。

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2018年10月、シリア内戦を取材中に武装勢力に拘束されていた日本人ジャーナリストの安田純平さんが解放されて、帰国した。当時、ネットでは「拘束されたのは自己責任であり、自業自得」と大バッシングされていた。なかには「彼は日本人ではない」という酷いものもあった。

私はなぜ同胞が無事に帰ってきたことを素直に喜べないのかと悲しくなった。自業自得ということは、彼は武装勢力に殺された方がよかったのか。それとも、日本国民に対して迷惑をかけたと土下座して謝ってほしいのか。たしかに外務省の職員には迷惑もかけただろう。でも、私には何の被害も被っていない。

もうひとつ。ダウンタウンの松本人志がテレビ番組で新型コロナウイルスによる所得減少者への給付金について、

「水商売のホステスさんが仕事休んだからといって、普段のホステスさんがもらっている給料を、われわれの税金で、俺はごめん、払いたくはないわ」と発言した。さらに高須クリニックの高須院長もそれを支持した。

これも、ホステスという仕事を選んだ人の自己責任であり、新型コロナウイルスの感染拡大で所得が減ったのも自業自得ということが言いたいのだろう。

自己責任論の先にあるのは、極論を言えば「死」である。自己責任を叫ぶ人たちは、その人が死ねばいいと思っているのか。そんなの狂ってる。

実際、新型コロナウイルスの影響で経営が行き詰まる店や会社がこれから沢山出てくると思う。リーマンショックのときがそうだったように、自殺する人も出るだろう。素人の私でもそんなことは予想できるのに、それも自己責任であり、自業自得なのか。

税金を払っているからとかじゃなくて、国民の生命と財産を守るのが国の義務ではないのか。国民を飢えさせないようにするのが政治家の仕事ではないのか。

こんな風に、国や政治家に何かを求める私を共産主義者でも左翼でも好きなようにレッテルを貼ればいいさ。その代わり、代案を出してほしい。どうすれば、皆が幸せに暮らすことができるのかを。

この日本が、そんな薄情で冷たい国であってほしくない。それだけなのだ。