永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

センス。

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「料理も、サービスもセンスだと思うんだ」と、ある料理人は言った。

彼が言う「センス」の中には、もちろん調理の技術も含まれている。培った技術を皿や器の中でどう表現するか、ということだろう。

一方、サービスにおける「センス」も、培った接客術を店という空間の中でどう表現するかということだ。

その店に居て心地が良いと思うのは、店主と自分のセンスが合致したからにほかならない。また、食事の楽しさというのは、食事を共にした人とセンスを共有し合うことにあると思う。

写真や文章も同じことが言えると思う。私が撮ったものや、書いたものを気に入ってくださる方は、私のセンスと合致していると言ってよいだろう。

私なんぞとセンスが合うというアナタは、控えめに言って変態だ(笑)。そりゃできるだけ多くの人から支持されたいとは思っているが、こればかりは仕方がない。

では、センスはどのようにして培うのか。技術的な部分は、ひたすら練習を重ねるしかない。でも、センスという括りの中においては技術なんぞはごく一部にすぎないと思っている。

技術以外のセンス。むしろ、その方が大切で、その人の考えていることや思っていること、これまでの生き様によって培われる。

前にも書いたが、SNSのプロフィールに自分がいかに稼いでいるのかを載せているライターはセンスを疑ってしまう。私がクライアントなら絶対に発注したくないし、私がインタビューを受ける立場であっても、そんな人にはとても自分の胸の内を話す気にはなれない。

私がこのブログに考えていることや思ったことをありのまま書いているのは、私のセンスに共感してくださった方と一緒に仕事をしたり、時間を共にしたいという気持ちが大きい。きっと、こんな私の泥臭いセンスが人から敬遠されるんだろうな。

今、私と仕事やプライベートで縁がある方で、私の考え方や生き方に共感できない人やできなくなった人に縁を切られても仕方がないと思っている。どうぞ、遠慮なく縁を切ってください。後は追わないから。

カメラマン、ライターとして、さらには人としてこれからも成長していくだろうが、その根幹となる部分、人生観や人間観、世界観はそんなに変わるものではない。人間関係の煩わしさを抱えさせたまま時間を共にするのは、申し訳ないし、私がその立場なら耐えられない。あと何年、この仕事ができるかわからないのだから。

 

※写真は、名古屋駅前『ひつまぶし う家 名駅店』のテイクアウト「大白焼き」。肉厚ながら身はフワフワで皮はパリパリ。