永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

死ぬな。生きろ。

f:id:nagoya-meshi:20200718231843j:image

俳優の三浦春馬さんが亡くなった。自殺だった。映画やドラマをほとんど見ない女房が彼のことを好きだった。私が言うのもアレだが、たぶん、どことなく長男と面影が似ているからだろうと思う。それだけに私もショックだった。

まだ30歳。役者としてこれから味を出していっただろう。残念でならない。生きていくのが嫌になるほど辛いことがあったのだろうが、絶対に死んじゃダメだ。そんなことはわかっていても、死を選んでしまった彼は、そんな忠告を受ける余裕もないほど辛かったのだろうなぁ。

もう、10年くらいになるのかな。私の友人が幼い子供と奥さんを残して自殺した。遺書は、頻繁に更新していたブログに書かれていた。食に対して造詣が深かった彼は本業とは別にライターとしても活動していた。彼と私がコンビを組んで、ある媒体で月1回の連載をしていた。

彼と出会ったのは、mixi。私の著書にとても興味を持ってくれて、食事に行ったのがはじまりだった。彼は美食家だったので、いろんな店を一緒に食べ歩いた。仕事のネタに困ったときも相談にのってくれたり、店を紹介してくれたりもした。

そんな彼と一緒に仕事をするのが楽しかった。私よりもはるかに知識はあるし、店の人にも好かれていた。いつか私も彼のような、料理を作る人に愛されるライターになりたいと思っていた。

ところが、亡くなる3、4ヶ月前くらいから彼の態度が急変した。私のやること為すことすべてに口を出すようになった。何気ない会話の中で「ギャラの高い仕事でも安い仕事でもやることは同じ」と私が言ったことになぜか彼は激昂して、「お金に汚い」とまで言われた。

決定的だったのは、名前こそ出されなかったが、明らかに私に対しての悪口をブログに書かれたことだ。さすがにこれは見過ごすわけにもいかず、直接会って話をすることにした。そこでも彼は私に対して今まで思っていたことをぶつけた。

「◯◯さん、ここ最近、何だかオカシイですよ。オレはお金なんてどうでもいいと思っているし、◯◯さんと一緒に仕事がしたくて、連載の仕事もやっているんだからさ。前みたいに損得勘定抜きの関係にはなれないんだろうか」と、私が言うと、彼は辛そうな表情を浮かべて黙り込んだ。

連載のギャラは折半だったが、私はノーギャラでやることにした。もちろん、経費も請求しなかった。それで彼が納得してくれるのなら構わないと思った。一緒に取材の現場へ行っても、彼に以前のような明るさはなくなり、「こなす」ことを優先していると思った。そんなノーギャラの仕事を3、4回した頃、夜遅くに担当編集から電話が入った。

「◯◯さんのブログを早く見てください!」と、何やら慌てた様子でまくし立てた。私は担当編集と電話をしながら彼のブログにアクセスした。そこには、家族に向けて先立つことのお詫びの言葉が綴られていた。

翌朝、再び担当編集から連絡があり、彼の遺体が見つかったことを知らされた。彼はなぜ死を選んだのか?彼の、あのとき浮かべた辛そうな表情ばかりが思い出されて苦しくなった。ひょっとしたら自分にも責任があるのではないかと思うと、全身の力が抜けた。

四十九日が過ぎた頃、担当編集とともに彼の家を訪ねて線香を上げさせてもらった。年老いたご両親が、彼が亡くなった理由を話してくださった。

何でも、業務提携をしていた相手から、お金を騙し取られたという。その額も聞かされたが、そんなに驚くような金額ではなかった。確か、2、300万円だったと思う。そんなはしたカネのことで死を選んだのかと思うと、本当に残念というか、悔しくてたまらない。

また、私に辛くあたっていた頃から、死ぬことを考えていたのではないかとも思った。本当に、態度が急変したのだ。自ら悪者になり、憎まれて憎まれて死ぬことを考えていたのかもしれない。彼ならやりかねない。

彼が亡き後、連載は私が一人で引き継ぐことになり、今も続いている。現場で話を聞いているときに、フッと彼のことを思い出す。そして、私はライターとして彼に近づくことができたのかを自問自答する。いつも「まだまだ、だな……」と、彼の声が聞こえる。

私はライターという、コトバを扱う仕事をしているのに、死を思い止まらせるようなコトバを持ち合わせていない。でも、絶対に死ぬな。生きろ。生きるんだ。