永谷正樹、という仕事。

フードライター、カメラマンの日常を書き綴ります。

レジェンド。

f:id:nagoya-meshi:20200905212940j:plain

内藤秀詩さんとの出会いは、かれこれ10年以上前。錦3丁目で餃子専門店を営んでいたときに『おとなの週末』の取材でお世話になったのが縁だった。

今でこそ、餃子専門店は雨後の筍のごとく乱立しているが、当時はまだ少なかった。しかも内藤さんの店は、餃子の食べ放題をやっていたと思う。アレンジ系の餃子も沢山あった。食べにくる客もいたが、近隣の店へデリバリーもしていた。

店は雑居ビルの中にあった。路面店ではないので、そのハンデをカバーするためにいろいろ企画していたのだろう。とてもバイタリティのある方だと思った。

月日は流れ、刈谷市のうどん店『きさん』の店主、都築さんから地元刈谷市の商店街の会合に誘われて参加したときに、内藤さんと再会した。その頃はすでに錦の店を畳んで、名鉄知立駅前へ店を移転していた。

f:id:nagoya-meshi:20200905222635j:plain

その後、『知立らーめん』と店名を変えて、あっさりとした昔ながらの醤油ラーメンの店をはじめたことを知った。4年半前には現在地に移転したことも知っていた。

tabelog.com

昔ながらの中華そばが大好きな私は、いつか行こうと思っていた。が、三河方面には『きさん』をはじめ、『北京本店』や『半熟堂』、さらに帰り道となる名古屋市緑区には『花ごころ 緑苑』があったりして、なかなか行けずにいた。

今回、あるご縁をいただいて、ようやく訪ねることができた。話を聞いてみると、内藤さんは昭和58年に豊明市で『たけのこ飯店』を開業して以来、37年間もずっと厨房に立ち続けているのである。

『知立らーめん』と、店名こそラーメン店だが、出しているのは澄みきったスープでいただく町中華のラーメン。それに和風だしをくわえて、より美味しく仕上げている。これは町中華出身でなければ出せない味だと思った。

面白いのが味の変化。ひと口目はどこか物足りなさを感じるのだが、食べていくうちにだんだんと美味しくなってくるのである。食べ終わる直前が美味しさのピークを迎える。食べ終わる頃には大満足となる。

ここにしかない味を完成させるのも難しいが、巷に溢れかえっている味を極めるのは、他店と比較されるため、もっと難しい。70代となった今でも味を追求し続ける内藤さんはまさにレジェンドである。内藤さん、ありがとうございました。また寄らせていただきますね♪